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ボイスらの警告 [アート 現代美術]

 その中で、「現代美術」の美術家で、デュシャンの危険性を警告したのは、日本人芸術家の工藤哲巳さんとドイツ人芸術家のヨゼフ・ボイス氏でした。

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東京芸術大学体育館での公開討論会




 それ以外には、警告ではありませんが「デュシャンはそれほど評価しない。・・ピカソあってのデュシャンだから」と言ったのはフランク・ステラというニューヨークの画家です。

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アカハラシキチョウ5.5X 1979 F.ステラ
 DIC川村記念美術館(千葉)
発表年1979

 ステラ氏はK君が芸大の卒論のテーマにした作家です。
 ステラ氏はアメリカの作家なので、デュシャ氏への恩義は多少は感じていたかも知れませんが、そういうことを言うのでD.ジャッド氏を激怒させていたようです。

 ちなみにステラ氏は、1982年の和光大学での講演会で「宗教的な動機は制作の背景に何かお持ちですか?」という私の質問に対して、「むかしは宗教とかは関心が無かったけれど、最近はその大切さを感じている」と答えられました。その講演会は和光大学の楠本先生の主催で同大学のN君に誘われて、芸大のK君と一緒に参加しました。

 それはさておき、デュシャン氏に対して、工藤哲巳さんは

 「デュシャンのねずみ講に気を付けろ」

 そしてヨゼフ・ボイス氏は

「マルセル・デュシャンの沈黙は高く評価され過ぎている」

と言っています。

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クレーフェでデュシャンを批判するヨゼフ・ボイス 1967



 それはマルセル・デュシャンが制作や発表をせず、アメリカでチェスばかりしていて、美術関係者が「そこに何か深い意味があるのではないか?」と必要以上に期待や評価をしていたことを批判するパフォーマンスだったと思います。

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 それはボイス氏らの良心が言わせていると思いました。そこに人間的な温かさみたいなものを感じました。彼らはデュシャン氏や、彼を過大評価する「現代美術」業界の危険性を感じていたと思います。

 工藤哲巳さんとは、河合塾だったかで一度お会いしたことがあるように思います。私の先生であった原裕治さんがパリで個展をした時に、温かなメッセージをいただいていたのを思い出します。
 ちなみに原先生は、優れた造形力を持つ天才的な彫刻家で、私も大変影響を受け、お世話になった方です。原さんも「現代美術」に制作の軸足を置かれていました。

「『現代美術』以外では美術界ではやはり評価され無い」

と思われているのは感じられました。

 東京芸大の油画科の先生で、退官の時に「本当に描きたいものを描いてなかった。」というようなことをおっしゃっていた先生がおられました。「『現代美術』に認められるには・・仕方なくそれっぽい絵にしていた」という意味の話でした。
 それは当時の、そして今もある「美術界」の共通認識だと思います。

 「美術界は現代美術に」乗っ取られ、「現代美術はデュシャン氏に」乗っ取られ、「デュシャン氏は悪魔に」乗っ取られることによって美術の鑑賞者と制作者は「神から切り離されてしまった」。

 そのように見える構造が「現代美術」の周辺にあります。
 その始まりにおいては対ソ連邦との「文化戦争」という「大義名分」がありましたが、今はそれはなく、そこに残るデュシャン氏のマイナスの想念が「現代美術」の中に一種の「地獄界」を作っています。

 新たなる「無神論・唯物論」国家の中華人民共和国に対して、私たちは新しい「銃弾」を放って行く必要があります。

 「時代遅れのあわれな芸術家達よ。君たちに神などをたたえるような(素晴らしい)美術作品は作らせないぞ」

 今の「美術界」を見ながら、そのようにデュシャン氏はほくそ笑んでいるのか、それとも、

 「もういい加減に美術界を変えてくれ、君たちが私を讃えれば讃えるほど、私は深い地獄に沈んで行くのだ。」

と嘆いているのか、どちらでしょうか。

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「『現代美術』は問い」だけで良いのか? [アート 現代美術]

 その問いかけには、古来宗教家や哲学者、作家や詩人がさまざまに答えて来ました。

 その答えとして最もポピュラーなものは、ギリシャのプラトンやイエス・キリスト、インドの仏陀の思想だと思います。

 彼らは、彼岸、すなわち「あの世」を「真の世界」とする価値観を説いています。
 この世は「仮の世界」という考え方です。

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大毘盧遮那仏 東大寺大仏殿 

 「あの世があってこの世がある」

 人間は、あの世からこの世に生まれて来て、また死んであの世に帰る、という人生観です。

 その中で、苦しみの「転生輪廻」から逃れるにはどうしたらいいかという方法論が「仏教の修業論」になっていると思います。
 プラトンの「イデア論」は、

 「イデア界」こそが本当の実在の世界であり、この地上はその不完全な模倣である、学習とはその「イデア界」を思い出すことだ。

と言っています。
 またプラトンは魂の「転生輪廻」も認めています。(国家)
 イエス・キリストも、天国に行くための様々なガイドラインを示しています。


 ブッダの説いた「施論・戒論・生天論」は、

 「施しをして、戒律を守って生活をすれば、天国に行く」

というシンプルな教えです。
 美術は、それらの教えを人々に分かりやすく絵や彫刻で表現して伝えて来ました。
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ラファエロ アテネの学堂 バチカン

 そしてこの物質の世の中で、生きる道を失っている人々に、導きの光を与えた人々を「聖人」として讃えて来ました。

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イエス・キリスト 小川 淳 

 今の「現代美術」には、そのような機能はなく、複雑で分かりにくく、人々が勝手に好きなものを作って、いたずらに目を刺激して見る人を混乱に陥れてしまっているように見えます。
 難解で分かりにくい、でも何か深い意味があるのかも知れない、と思わせるような「似非哲学」的な作品が横行して、見る人を煙に巻いていることが多いようです。

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チェスをするマルセル・デュシャン

 しかし「あいちトリエンナーレ2019」の事件によって、「現代美術」がそんな「クールな知的ゲーム」ではないことを露呈してしまいました。

 そして「現代美術は”問い”である」という言葉がありますが、それは

「答えが分からない」

ということを意味しています。



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ボイス氏との出会い [アート 現代美術]

 心ある人で「現代美術」の中に聖なるものを求める人も多いと思います。

「私はここで真実の人間学を探求し、また神さえも表現しようと真剣に考えているのだ。『現代美術』は神なき今を生きる人々にとっての、あらたな宗教なのだ」

 そういう人もいると思います。いやむしろそのようなまじめで真摯な求道者が「現代美術」を支えてます。

 ただそれに対しては私は

「そこは『便器こそ最高』の価値観が裏で支配している世界ですよ。」

「その『泉』という便器ですが・・・・そのシルエットが『モナ・リザ』と同じだということ・・・それが意味していることは何でしょうか?」

「デュシャン氏の遺作と言われるものを知ってますか。それは覗き穴から少女の裸の下半身を見せる悲しい作品で、それをお子さんといっしょに見れますか?」

と言わないといけません。

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 そこに必要なのは、「表現の自由」ではなく「責任」だと思います。

 デュシャン氏が「現代美術」の父として尊敬されている世界では、

《便器を崇めること》

《モナ・リザにおしっこを掛けること》

《少女凌辱を共有すること》

を暗黙の裡に求められてしまいます。

 それを世界中の美術館や美術学校が公認し後押しをしてるような状況があります。

 「美術界」に仕掛けたこのような罠に捉えられている人が無数にいるように見えます。
 そこで知らないうちに踏み絵を踏まされている多くの無垢な画学生さん、学芸員さん、美術関係者さんの状況は何とかしないといけません。

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1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ  M.デュシャン フィラデルフィア美術館



 「20世紀最大の反芸術のカリスマ」として崇められている世界はどんなところなのか、愛知県じゃなくても一度きちんと検証すべきです。

 そして今、それをもたらした「東西の冷戦」とアメリカの「功罪」、それも正しく見た上で「美術界」をあるべき姿に戻す必要があると思います。
 そしてそれをするのは日本人の仕事ではないかと思うのです。


 私のこの文章は、美大などに入って「現代美術」に直面して、「それが分からない自分は美術の世界でやって行けないのではないか?」と心配している方や、すでに「現代美術」の中にいて「そこに理想や希望を感じて来たけれど、どうしてもモヤモヤして分からない」と思ってる人のために書いています。

 私もかつて「現代美術」の中に身を置き、そこに答えを求めた一人ですが、そしてそこでヨゼフ・ボイスというドイツ人の芸術家に出会い、そのモヤモヤから覚めました。ただそれは稀なことだと思います。私は運が良かったと思っています。

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 ボイスは「現代美術」の芸術家でしたが、その世界に答えが無いことを知っていました。
 その世界の多くの人は、(デュシャンのように)「美術業界で成功する」事を求めていて、本当の答えは実は求めていない、そんな意味のことを言ってました。本当の答えとは「人間とは何か?」「どこから来て、どこへ行くのか」という何千年、何万年と続いていて、これからも続いて行く古典的な問いかけへの答えです。


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天使と悪魔の美術戦略 2 [アート 現代美術]

(続き)

 CIAがいかにしてアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」(Congress for Cultural Freedom)を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したかは、「The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters」という本に詳しい。

 もっとも各国での美術工作の効果はさまざまだった。自国の伝統の深さからアメリカの芸術や理論を受け入れなかった先進国や第三世界諸国も多かった(中略)また、アメリカの美術や美術理論が時として自国の体制や資本主義に対する批判も行っているという点は、アメリカには「抵抗の自由」もある、と文化人が抵抗のモデルをアメリカ芸術に求めることになり、多くの国の進歩的文化人が自国に対する批判としてアメリカ芸術を受容することにもなった。

************************

とあります。
 私は、この文章を読んだ時、長い間疑問だった「現代美術」の謎が解けたような気がしました。
 17歳で芸大に入り、K君からポロックやアド・ラインハルトの画集を見せられ「これが美術界の現実なんだ」と言われた時、それを否定する気持ちはありませんでしたが、何故それらの芸術が世界の美術界をそれほど支配しているのか、その理由が全く分からなかったのです。

 しかし、パソコンのウィキペディアの「抽象表現主義」という項目の中にこの「CIAの美術工作」という一文を読んだ時に、「なるほど!」と長年の疑問が腑に落ちました。
 美学的な意味や、哲学的な理由でそうなっているのではなく、国家が充分な予算を使ってわざとそうしていること、そしてそれはアメリカという超大国が「東西冷戦」という緊急事態に際してそれをしたということで、「それはあり得るだろう」と納得が行きました。

 たしかにK君の先生でもあり、芸大の芸術学科の藤枝晃雄先生は、フルブライトなどの奨学金を受けてペンシルベニア大学などで「アメリカ現代美術美術」を学んでポロックで博士論文を書いていますし、美術評論家の東野芳明さんもデュシャン氏の日本への紹介を熱心にやっています。
 アメリカからの資金がそのあたりにも使われていると思いますし、実際そうした工作は美術大学や美術館、美術評論家やマスコミなどに相当なされたと思われます。

 ちなみに東野芳明さんは、私が1984年にPARCOのオブジェ展で大賞を取った時の審査員をされています。

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My Kabul 小川 淳 1984 PARCO

 特に美術大学などは一番工作しやすい場所だったと思いますし、都内の美術館やギャラリー、美術関係の出版社などにすべて工作すれば、かなりの成果は出せるでしょうし実際出していました。
 私の芸大3年以降の担当教授の野田哲也先生もその流れの中にいた方だと思います。
 先生のイギリスでの評価の高さやイスラエルとの関係の深さを考えれば当然のことでしょう。

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日記 1968年8月22日  野田哲也

 つまりK君が私にアメリカの現代美術のことを教えてくれた時はすでに、東京芸大やその周辺の都内の美術関係の様々な場所の多くにCIAの美術工作がしっかりなされていた、ということです。
 1980年代でもまだ冷戦は終わってないので、アメリカ・アングロサクソンではなく、ヨーロッパ・ラテンに親近感があれば、CIAから見れば、それはソ連邦側であることを意味します。

 スパイの活動は、映画の中の話だと思っていたら、絵の領域まで、それも自分のすぐ近くで、さらにはその時の構図を仮に当てはめたなら自分が否定される工作の対象になっていたとも言える話が実際にあったわけです。
 ちなみにK君はCIAからは資金はもらって無いと思いますが、藤枝先生からは

「友人にまだルネサンスが良いなんていう人がいたら、『20世紀アメリカ現代絵画』を教えてあげなさい。」

と言われていたかも知れません(笑)。

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天使と悪魔の美術戦略 1 [アート 現代美術]

 時代の変化の中で宗教が古くなったとき、大きなイノベーションが何度も起きています。
 マルクスやニーチェ、そしてダーウィン達も、時代の要請を背景に登場した存在ですが、彼らは「信仰や神」を疑うことでその声に応えました。

 「共産思想」のカールマルクスは、「ヘーゲル法哲学批判序論」(1843年)の中でこのように書いています。

「宗教は悩める輩のため息、心なき世の情であり、またそれは魂なき場の魂である。宗教は民衆の阿片である」

 哲学者のF.ニーチェはその「悦ばしき知識(1882年))の中で

 「神は死んだ。神は死んだままである。われわれは彼を殺した。殺人者の中の殺人者である我々は、いかにして自分を慰め得るか。」

と言っています。
 ダーウィンの進化論では「人間は猿から進化した」ことになってます。

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 彼らの発言は、当時の教会に対する人々の不満を代弁するものではありましたが、実際はそれに代わる答えを出せた訳ではありませんでした。
 彼らが出した答えは、彼らが批判していた教会の教えよりも内容は乏しく「暴力や力に訴えてでもこの世の権力を奪え」のような雑な考え方でしたが、それが《活字になる》と思いのほか広がって行き、その害悪も世界中に広がって行きました。
 それは《この世のものや力がすべて》という「唯物論」であり《神はいない》という「無神論」です。

 キリスト教国であるアメリカ合衆国でも、40%以上の人が「進化論」を信じているそうです。
 映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」の中でのインディとインディーのお父さんのやり取りの中にも「信仰」を巡る新旧世代間のギャップが描かれています。

 《神がいるのかいないのか》という議論は、永遠にあると思いますが、宗教の基本は「有神論」です。《神無くして世界は無い》という立場です。
 それは《親無くして子供なし》の関係と同じだと言えます。人間や生命を生み出した存在がいるはずです。
 大きな流れとしては、美術の歴史は常にその立場に立ってきました。

 さて、この「現代美術」を考えるにあたって、「冷戦」の中でアメリカが果たした「軍事的」役割はかなりあると書きました。
 その先兵はポロック氏でありデュシャン氏でした。彼らはアメリカに使われた存在で、彼らが「現代美術」を作ったわけではありません。

 そのアメリカが、どのようにして「ヨーロッパ美術を徹底的に粉砕、否定」して行ったか、ということが、実際のアメリカ議会の報告として公表されています。

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文化の戦争  

 これについて書かれた部分をウィキペディアから引用します。

冷戦下のCIAの美術工作

抽象表現主義は、冷戦下の政治の力の側面支援を受けたとも見られている。 抽象表現主義は50年代前半、思想戦・情報戦の武器としてCIAの関心を引くところとなった。東側諸国との冷戦のさなか、CIAは抽象表現主義の美術家や批評家を援助し世界に広めることにより、アメリカには「思想の自由」と「表現の自由」があり、政治・軍事・経済だけでなく文化面でも大きな成果を成し遂げたという証明にできると考え、ソビエト連邦の芸術や文化の硬直性に対し有利に立てると考えた。 アメリカや主にヨーロッパを中心とした進歩的文化人など、世界中の文化人に対するソビエトの影響力は圧倒的で、アメリカは哲学や芸術の世界では常に悪役であり劣勢にあった。この劣勢に対し、CIAは美術も含めたアメリカの芸術の自由さと斬新さ、先端性をアピールすることで、文化人に対するソビエトの影響をそぎ、アメリカの影響を高めようとした。また西洋の芸術のモダニズムや前衛の成果や運動は、今やアメリカの美術界が引き継いだと証明するために、抽象表現主義とその理論が利用された。こうして抽象表現主義は、「冷戦下の文化戦争の尖兵」となることになる。

(続く)

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美術史の99%は「神像」 [アート 現代美術]

  一般的な「美術」の歴史はほぼ99%「信仰と神の歴史」で満たされています。

 神々をたたえるギリシャ・ローマ、人間復興のルネサンスからバロック・ロココ、印象派までは確実に美術の世界では「神の探求」は続いていました。

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ヘルメス 伝プラクシテレス オリンピア博物館

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ミロのヴィーナス 作者不詳 ルーブル美術館


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受胎告知 ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチ 1472年から1475年ごろ ウフィチ美術館<


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最後の審判 ミケランジェロ 1541年から1547年 システィナ礼拝堂 バチカン

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ヴィーナスの誕生 アレクサンドル・カバネル 1863

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朝 オットー・ルンゲ 

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イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢 ルノワール 1880年

 ルノアールは、宗教的なモチーフとしての神や天使を描いた訳ではありませんが、この美しい少女の中に天使の姿を見ていたに違いありません。

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ジョルジュ・デ・キリコ 『街の神秘と憂愁』1914

 この潜在意識に焦点を当てたシュールリアリズムあたりが「現代美術」に繋がる一つの境目でしょうか。私の中学、高校の頃に一番好きな絵でした。

 キュビズムのピカソあたりからはややぐらぐらして来ています。
 ここから文字通り《絵画は解体され》て行ったと思います。

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泣く女 ピカソ

 ピカソが1944年に「共産党員」となり、ピカソの心はカトリックから離れて行ったように推察します
 そこからデュシャンまでは案外距離が近いのかも知れません。

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階段を下りる裸婦 M.デュシャン 

 これはデュシャン氏が、ピカソのキュビズムに触発されて描いた作品です。のちに彼をアメリカと繋げる役割を果たすことになる絵です。

 この絵はパリで認められませんでした。しかしニューヨークがこの絵と彼を受け入れたことによって、フランス人のデュシャン氏はアメリカに移ります。

 フランス人の彼がモナ・リザなどのヨーロッパ芸術を笑いものにすることは、ヨーロッパの文化に劣等感を感じていた当時のアメリカ人にとってある種の痛快さはあったことでしょう。

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デュシャン 泉 黒いところがモナ・リザのシルエットに重なるように見える。

 しかし第二次大戦後の「東西冷戦」という戦いの中で、ポロック氏やデュシャン氏は、対ヨーロッパ、ソビエト、フランスのパリとの闘いの有効な「武器」になって行きます。
 その作品の破壊力の強さもあり、アメリカはヨーロッパとの戦いに勝利をおさめて行きましたが、そこで使った「美術兵器」が、特にデュシャン氏の存在が《核兵器》並みの破壊力があり、その後は美術界にその《放射能汚染》が続いている状態です。

 アメリカ美術界は、デュシャン氏の「絵画の終焉」を旗印にして、徹底的に《ヨーロッパ的絵画》を否定してフランスなどの《ヨーロッパ文化に対する文化的な優位》を確立して行きました。
 しかしそれによって大切な、尊い価値も一緒に破壊してしまいました。
 それは「神聖なる神の像」です。

 ギリシャ彫刻のヘルメス像からの美術の流れとしてたどり着いたデュシャン氏の《彫刻作品》を最後に置くことで、「現代美術」が長い美術史の中でどうなっているのか雄弁に語ってくれると思います。

 私たちは《物質的には豊か》であっても、少なくとも《美術史的には最低の位置》にいることに気付いていないのかも知れません。



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デュシャン「泉」 京都国立博物館
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デュシャン「泉」 フィラデルフィア美術館 アメリカ
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デュシャン「泉」 パリ ポンピドー美術館 フランス

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「現代美術」がもう一つ終わらせているもの [アート 現代美術]

 少し前の「あいちトリエンナーレ 2019」の話から「現代美術」の背景にある政治や宗教の話になりました。

 私は仕事のパートナーと豊田会場の「クリムト展」に行きました。「炎上」している本会場に行く気にはならなかったのです。そこでは「現代美術」が別の政治問題とショートして火を噴いていました。

 ふだんは「現代美術」が多い豊田市美術館も、その時は珍しくふつうに絵画のクリムト展をやって賑わってました。



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 ところで、「現代美術」は「絵画」否定している、という話でしたが、その中でどさくさに紛れてもう一つ大事なものも否定してしまっています。
 では「現代美術」はもう一つ何を否定しているのでしょう。
 私はそれは「神の存在」だと思います。

 「神は死んだ」とニーチェが言ったように、またマルクスが宗教を嫌ったように、「絵画は終わった」と言ったデュシャン氏は、ルーブル美術館などに飾られている「モナ・リザ」などの古典絵画を嫌っていました。

 しかし「モナ・リザ」はとても宗教的な絵です。本当のモデルはマグダラのマリアだとも言われています。マグダラのマリアは、イエス・キリストの妻とされる人で、カトリック教会ではそれを隠すために脇に追いやっています。

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モナ・リザ レオナルド・ダ・ヴィンチ

 教会がそういうことをしたので、その後のキリスト教に変な歪みが出たところはあるのかも知れません。
 豊田市美術館のクリムトの作品です。

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オイゲニア・プリマフェージの肖像 グスタフ・クリムト 1913/14年 豊田市美術館蔵



クリムトは、直接神や天使は描いていませんが、彼の描く女性像は優しくきれいで、画面からは豊かでおおらかなオーラが出ています。


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「絵画の終わり」の終わり [アート 現代美術]

 その10年ほど前、Tさんがまだユマニテに在籍されていたころ、奈良君と私との三人の席で
「どんな作品であっても、5年間は展覧会を続ける」
と言って下さったことがあり、名古屋の栄で三人で「頑張ろう!」と乾杯をしました。

 Tさんは義理堅い方で、そんな簡単に約束を破る人ではないのですが、そのTさんが「小川君、これでは展覧会出来ない」と言われた理由の背景には、このような事情がありました。
 絶望の「現代美術」と希望の「宗教美術」は一番相性が悪いのかも知れません。

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青の彼方 小川 淳 

 それをあえて「現代美術」として出そうとすれば、《さかさまに》展示したらOKになる可能性はあります。
 床に置いて《踏んで》ください、としたらたぶんOKです。
 天井に貼ったら・・・微妙です。
 「天竺塔」を絵画ではなく写真でやった理由は、そこにあります。それは「現代美術」に合わせた作品でした。

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絵画をさかさまに展示するバゼリッツ 

 ただそれをやって何が面白いのか?という素朴な疑問はあります。目的は「現代美術」で成功することなのか。
 「現代美術」の世界で認められているためには、その「踏み絵」を踏まないといけません。

 ふつうの絵ではなく《ちゃんと描かないことを示す》、または《不安を表す、気持ち悪い》どこか《影があったり、斜に構えていたり、あえて唯物的であったり…道徳倫理やヒューマニズムを否定している絵画作品》などなどです。
 そのようなちょっと変わった暗い絵画が「現代美術」でたくさん出てくる理由です。

 先ほどのドナルド・ジャッド氏も「絵画の終焉」を唱えています。
 フランク・ステラというアメリカの画家が、デュシャン氏に疑問を持ち、ピカソを評価した作品を作り始めた時、ドナルド・ジャッド氏は「裏切者ペテン師!」と烈火のごとく怒りました。

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たぶんジャッド氏を怒らせているフランク・ステラの作品


 奈良君の作品もちょっと「不気味」な絵だと私は感じています。この「不気味さ」や、相田誠氏のような「奇異性」は、残念ながら「現代美術」の絵画として認められるために必要な要素だと思います。
 それは時代の「不安感」を表しています。その「不安感」に共感する人々が少なからずいると思います。

 そこでは「健全な絵」は能天気な「絵空事」のように見えるかも知れません。

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アフロディーテ 小川 淳 

 《心ある人ならこの時代に不安を感じていなければ嘘だ》
 《まともな人間なら、今の時代に希望を感じて美しい絵を描いてるなんて現実逃避だ。》

 という気持ちです。たしかにその気持ちは分かります。
 私たちがマスコミなどを通して目にしたり耳にしたりするものは、おかしな政治の話やコロナウィルス、原発や気候変動などの異常現象など、この先の未来はどうなってしまうのだろうというようなものにあふれています。その中で、希望や夢にあふれた美しい絵を描くということは、「現実逃避」のように見えるかもしれません。

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プラトンの凧揚げ 小川 淳 

 しかし地球を悪くしているものは、政治家でもウィルスでも原発でも地震や二酸化炭素や火山の噴火でもありません。
 それは私たちの考え方です。目に見えるものしかない、神などはいないと考える「唯物論」「無神論」の考え方です。
 文明は確かに危機を迎えていますが、その危機を作っているのは自分でもあるという認識のもとに立ち止まる必要があります。
 そして、今の世の中の常識となっている考え方の中に間違いはないか、一度謙虚に反省する必要があると思うのです。現実がすべてだと思うと、たしかにそこには危機が見えて来ます。

 そして人は「不安や絶望」の方を愛するようになって行きます。そうなると「希望や夢などの明るいもの」を、「そんなのは絵空事だ」と拒絶するようになって行きます。

 奈良君が今のように有名になる前、私がドイツから帰って宗教に出会って希望の色の強い最初の個展を名古屋でやった時に私の作品を見て、

「これはダメだ」

と言ったそうです。また「現代美術」で活躍されている会田 誠さんは、私が学んでいる宗教の本を読んで

「この教えは自分にはまぶしすぎる」

と言って本を閉じたと聞きました。

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永遠の法 太陽の法 大川隆法

 私自身もその宗教に対してアンチだった時があり、その時は私の心はネガティヴで、文明の崩壊をおびえる気持ちがありましたので、その気持ちは分かります。
 「だめだ、出来ない」の方にしがみ付いていたいというか。そちらの方が居心地が良いというか。

 それは個人的なことというより、今の時代に対する感じ方です。「不安絶望愛好会」みたいなものでしょうか。
 その「だめだ、出来ない」という感覚が、文明を危機の方に追いやり、危機がまた不安を引き寄せて行くという悪循環があります。それを押しとどめる力は、目には見えず、まだそこには現実化していない「夢や希望」の中にあります。

 私はそれをもう少し学びたいと思い宗教に近付き、その結果「現代美術」から離れることになりました。



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絵画を終らせている「現代美術」のコード [アート 現代美術]

 話は少し戻り、白土舎での二回目の展覧会の作品候補の作品をTさんに見せた時、

「小川君のこの作品は、うちでは展示できない。申し訳ない。」

と言われました。
 宗教の影響を受けて私の絵は明るくなって来ていてました。
 それは「宗教絵画」でしたが、私はそれも「現代美術の作品」として成立するのではと思ってTさんに見ていただきました。
 作品自体はふつうの人が見たらそれほどおかしな作品では無いと思います。

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はす 小川 淳 1995

 しかしTさんからは
 「これでは展覧会は出来ないわ」
と言われました。
 それは《絵の上手い下手》とかではなく、「現代美術」で絵画を発表する時の不文律の「コード」(規則・規定)に反しているのです。

 ただ不文律なので、どこかに書いてある訳ではありません。書いてあるとしたら、美術史の1912年のところにある「絵画は終わった」というデュシャン氏の文言です。

 【絵画は終わった】 1912年、友人のピカビアとパリの航空ショーに行ったデュシャンは、そこで美しく造形された飛行機のプロペラを見て『絵画は終わった。いったい誰がこのプロペラ以上に美しいものを作れるっていうんだ?』と言った。

 と言われています。
 本当かどうかは分かりません。
 ただ実際は、《20世紀アメリカ現代絵画が、デュシャンのその言葉を使って「ヨーロッパ絵画」を否定した》ということです。
 アメリカの担当者が、その言葉を必要としていたのです。
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バーネット・ニューマン「存在せよ1」1949年 油彩、カンヴァス メニル・コレクション、ヒューストン

 その結果が、ポロック氏やラインハルト氏、そしてこのB.ニューマン氏のような「奥行の無い」、「ものの形を描かない」アメリカの「抽象絵画」となって現れました。
 それ以降「現代美術」あるいは「現代アート」の世界では、今まで通りの絵画は描けなくなって行きました。

 しかし、それは実のところ「東西の冷戦」の中で行われた「文化戦争」だったのです。
 もう少し言うと《美術運動の形をとった一つの軍事作戦》と言っても良いと思います。

 アド・ラインハルト氏の絵画の「新しいアカデミーの12ルール」には、「光があってはならない」「色彩があってはならない」「フォルムがあってはならない」というものがあります。
 それをすべて見て行くと

 「だったら、絵画やらなければいいじゃないか」

と思うほど、今までの絵画の構成要素を否定しています。
 しかしそれは「冷戦」における文化戦争の中の「一大軍事諜報作戦」として進められていたということがあとで分かってきました。

 「絵画は終わった」とアメリカが言えば言うほど、豊かな絵画文化を持つフランスやヨーロッパ文化は劣勢になって行き、それがソ連邦を追い詰め、最後はアメリカが冷戦に勝って行く一助になった訳です。

 第二次大戦後のフランスやヨーロッパの文化人は、ソ連邦寄りの共産主義の人が多く、ピカソも1944年に共産党員になってアメリカの商戦戦争を批判しています。
 それに対してアメリカは物量にモノを言わせて「絵画は終わった」という弾丸を、ヨーロッパ、そして日本に向けて徹底的に撃ちまくりました。
 特に同じプロテスタント国のイギリスとドイツはアメリカと強い連携を取って自国の美術文化を徹底した「反フランス色」にして行ったと思われます。

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ピカソ 朝鮮の虐殺

 ただ、それはベトナムで米軍が撒いた「枯葉剤」みたいなものでもありました。

 「あとはぺんぺん草も生えない不毛な大地となってしまった」

 1989年まで続いた「東西冷戦」の背後では、美術界でこのような熾烈な戦いがあったことなど知る由もない10代の画学生には、「いったい美術の世界では何が起きているのだ」ということがなかなか分からないでいました。

 大学4年生になり、芸大のK君の発案で、和光大のN君と私の3人でそれを実際にこの目で見るための「アメリカ現代美術視察旅行」に行きました。

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ポロックの絵の前のN君とK君 1981年 ニューヨーク

 そこではどの美術館に行っても圧倒的なスケールでのアメリカ現代絵画が「これでもか、これでもか」といった威容で見るものを圧倒していました。

 「すごいな」

とは思いました。
 ただもちろん大味で、作品そのものの感動が少なく、私は暇を見つけては水族館に行き、これも巨大なロブスターを見て「すごいな」とびっくりしていました。
 それぞれの水族館にはそれぞれに「世界最大のロブスター」がいたのには笑ってしまいました。
 またホテルの管理人さんが、私たちに気付かいほど夢中になってテレビの白黒のゴジラ映画を見ていたことにもびっくりしました。>


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白土舎と天竺塔 [アート 現代美術]

 当時、アメリカのニューヨーク、イギリスのロンドン、そしてドイツのケルンが世界の「現代美術」の3大中心地でした。
 その時に、私はケルンのあるギャラリーで見た作品がきっかけになり「天竺塔」という作品を制作しました。

 そこはアメリカの彫刻家のドナルド・ジャッドをドイツで広めたギャラリーでした。オーナーさんは「ジャッドで成功したおかげで今、若い芸術家を支援できている」と言ってました。
 彫刻と言われても「これが彫刻?」と思われるかも知れません。

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無題 ドナルド・ジャッド 1989

 私が制作のヒントを得た作品はこのジャッドの作品ではありませんが、このドナルド・ジャッドはアメリカ「現代美術」の「ミニマリズム」の代表的な作家です。
 美しい作品だと思います。
 この作品は、私がちょうどドイツに行った1989年に作られたようです。この人は生涯一貫して箱だけを作っています。彼は「絵画の終焉(絵画は終わった)」を強く支持しています。

 「アメリカ人なら絵画を否定しろ」、みたいな感じです。もちろん「アメリカの画家なら」という意味です。

 私は、当時ドイツの義理の父のコネで、イタリアとドイツの古いお城などで天井画などを描く機会がありましたが「現代美術」の制作はやめてました。しかし、そのギャラリーでヒントを得て、久しぶりに自分の作品を作り始めました。

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天竺塔より アヴァディア・サン・サルバドール 小川 淳 1992

 取材のため義理の父からいただいたローライ・レフレックスの二眼レフを持って、イタリアやギリシャの取材旅行にも行きました。

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天竺塔 フォロ・ロマーノ 小川 淳 1992

 しかしその制作の途中で「これが完成したら、自分は『現代美術』から離れるだろうな」と思ったのを記憶しています。
 1993年「天竺塔」シリーズは完成し、名古屋の白土舎さんで展覧会をしていただくことになりました。

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天竺塔より ミストラ/ギリシャ 小川 淳 1993

 白土舎さんでの展覧会は、Tさんと森岡先生などの協力で成功し、作品も売れました。
 しかし《天竺塔は自分にとっての「現代美術」の卒業制作》というその予感は、意外なものを私にもたらすことになりました。
 「天竺塔」の展覧会のために日本に来ていた時にある宗教に出会ったのです。

 私が出会ったその宗教は、実は3年前に河合塾の教え子さんを通して一度出会っていて、はじめは興味を持ちましたが、途中で「あまり良くないかな」と思って、どちらかと言えばアンチになっていました。
 ただその教え子さんを含む、その宗教をやっていた二人の知人は、当時の私から見てとても信頼できる人でした。
 「天竺塔」の展覧会がきっかけとなったその宗教との2度目の出会いでは、私はそれを素直に受け容れられるものがあり、その後の作品の傾向もガラッと変わってしまいました。

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青の彼方 小川 淳 1995

 その頃、芸大からの友人であるK君は、東京の河合塾で先生をしており、そこで河合塾のIさんと共に私のデッサンや「天竺塔」の展覧会を企画してくれました。信仰に向かおうとしている私を引き留める気持ちも若干あったかも知れません。
 また私の教え子で、才能があり慕ってくれていた日大芸術学部のF君からは、宗教に行く私に対して「戦友を失ったようだ」と嘆かれました。

 しかし私は、その宗教の信仰との出会いによって、その後「現代美術」から大きく離れていくことになりました。
 それによって私の画業は守られて行きました。


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