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ボイス氏との出会い [アート 現代美術]

 心ある人で「現代美術」の中に聖なるものを求める人も多いと思います。

「私はここで真実の人間学を探求し、また神さえも表現しようと真剣に考えているのだ。『現代美術』は神なき今を生きる人々にとっての、あらたな宗教なのだ」

 そういう人もいると思います。いやむしろそのようなまじめで真摯な求道者が「現代美術」を支えてます。

 ただそれに対しては私は

「そこは『便器こそ最高』の価値観が裏で支配している世界ですよ。」

「その『泉』という便器ですが・・・・そのシルエットが『モナ・リザ』と同じだということ・・・それが意味していることは何でしょうか?」

「デュシャン氏の遺作と言われるものを知ってますか。それは覗き穴から少女の裸の下半身を見せる悲しい作品で、それをお子さんといっしょに見れますか?」

と言わないといけません。

006泉 デュシャン「泉」京都.jpg

 そこに必要なのは、「表現の自由」ではなく「責任」だと思います。

 デュシャン氏が「現代美術」の父として尊敬されている世界では、

《便器を崇めること》

《モナ・リザにおしっこを掛けること》

《少女凌辱を共有すること》

を暗黙の裡に求められてしまいます。

 それを世界中の美術館や美術学校が公認し後押しをしてるような状況があります。

 「美術界」に仕掛けたこのような罠に捉えられている人が無数にいるように見えます。
 そこで知らないうちに踏み絵を踏まされている多くの無垢な画学生さん、学芸員さん、美術関係者さんの状況は何とかしないといけません。

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1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ  M.デュシャン フィラデルフィア美術館



 「20世紀最大の反芸術のカリスマ」として崇められている世界はどんなところなのか、愛知県じゃなくても一度きちんと検証すべきです。

 そして今、それをもたらした「東西の冷戦」とアメリカの「功罪」、それも正しく見た上で「美術界」をあるべき姿に戻す必要があると思います。
 そしてそれをするのは日本人の仕事ではないかと思うのです。


 私のこの文章は、美大などに入って「現代美術」に直面して、「それが分からない自分は美術の世界でやって行けないのではないか?」と心配している方や、すでに「現代美術」の中にいて「そこに理想や希望を感じて来たけれど、どうしてもモヤモヤして分からない」と思ってる人のために書いています。

 私もかつて「現代美術」の中に身を置き、そこに答えを求めた一人ですが、そしてそこでヨゼフ・ボイスというドイツ人の芸術家に出会い、そのモヤモヤから覚めました。ただそれは稀なことだと思います。私は運が良かったと思っています。

051ボイス.jpg

 ボイスは「現代美術」の芸術家でしたが、その世界に答えが無いことを知っていました。
 その世界の多くの人は、(デュシャンのように)「美術業界で成功する」事を求めていて、本当の答えは実は求めていない、そんな意味のことを言ってました。本当の答えとは「人間とは何か?」「どこから来て、どこへ行くのか」という何千年、何万年と続いていて、これからも続いて行く古典的な問いかけへの答えです。


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