天使と悪魔の美術戦略 2 [アート 現代美術]
(続き)
CIAがいかにしてアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」(Congress for Cultural Freedom)を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したかは、「The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters」という本に詳しい。
もっとも各国での美術工作の効果はさまざまだった。自国の伝統の深さからアメリカの芸術や理論を受け入れなかった先進国や第三世界諸国も多かった(中略)また、アメリカの美術や美術理論が時として自国の体制や資本主義に対する批判も行っているという点は、アメリカには「抵抗の自由」もある、と文化人が抵抗のモデルをアメリカ芸術に求めることになり、多くの国の進歩的文化人が自国に対する批判としてアメリカ芸術を受容することにもなった。
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とあります。
私は、この文章を読んだ時、長い間疑問だった「現代美術」の謎が解けたような気がしました。
17歳で芸大に入り、K君からポロックやアド・ラインハルトの画集を見せられ「これが美術界の現実なんだ」と言われた時、それを否定する気持ちはありませんでしたが、何故それらの芸術が世界の美術界をそれほど支配しているのか、その理由が全く分からなかったのです。
しかし、パソコンのウィキペディアの「抽象表現主義」という項目の中にこの「CIAの美術工作」という一文を読んだ時に、「なるほど!」と長年の疑問が腑に落ちました。
美学的な意味や、哲学的な理由でそうなっているのではなく、国家が充分な予算を使ってわざとそうしていること、そしてそれはアメリカという超大国が「東西冷戦」という緊急事態に際してそれをしたということで、「それはあり得るだろう」と納得が行きました。
たしかにK君の先生でもあり、芸大の芸術学科の藤枝晃雄先生は、フルブライトなどの奨学金を受けてペンシルベニア大学などで「アメリカ現代美術美術」を学んでポロックで博士論文を書いていますし、美術評論家の東野芳明さんもデュシャン氏の日本への紹介を熱心にやっています。
アメリカからの資金がそのあたりにも使われていると思いますし、実際そうした工作は美術大学や美術館、美術評論家やマスコミなどに相当なされたと思われます。
ちなみに東野芳明さんは、私が1984年にPARCOのオブジェ展で大賞を取った時の審査員をされています。
My Kabul 小川 淳 1984 PARCO
特に美術大学などは一番工作しやすい場所だったと思いますし、都内の美術館やギャラリー、美術関係の出版社などにすべて工作すれば、かなりの成果は出せるでしょうし実際出していました。
私の芸大3年以降の担当教授の野田哲也先生もその流れの中にいた方だと思います。
先生のイギリスでの評価の高さやイスラエルとの関係の深さを考えれば当然のことでしょう。
日記 1968年8月22日 野田哲也
つまりK君が私にアメリカの現代美術のことを教えてくれた時はすでに、東京芸大やその周辺の都内の美術関係の様々な場所の多くにCIAの美術工作がしっかりなされていた、ということです。
1980年代でもまだ冷戦は終わってないので、アメリカ・アングロサクソンではなく、ヨーロッパ・ラテンに親近感があれば、CIAから見れば、それはソ連邦側であることを意味します。
スパイの活動は、映画の中の話だと思っていたら、絵の領域まで、それも自分のすぐ近くで、さらにはその時の構図を仮に当てはめたなら自分が否定される工作の対象になっていたとも言える話が実際にあったわけです。
ちなみにK君はCIAからは資金はもらって無いと思いますが、藤枝先生からは
「友人にまだルネサンスが良いなんていう人がいたら、『20世紀アメリカ現代絵画』を教えてあげなさい。」
と言われていたかも知れません(笑)。
CIAがいかにしてアメリカの抽象表現主義を世界へ宣伝するために、「文化自由会議」(Congress for Cultural Freedom)を通じて1950年から1967年までの間、展覧会や美術批評活動に対し資金面や組織面で協力したかは、「The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters」という本に詳しい。
もっとも各国での美術工作の効果はさまざまだった。自国の伝統の深さからアメリカの芸術や理論を受け入れなかった先進国や第三世界諸国も多かった(中略)また、アメリカの美術や美術理論が時として自国の体制や資本主義に対する批判も行っているという点は、アメリカには「抵抗の自由」もある、と文化人が抵抗のモデルをアメリカ芸術に求めることになり、多くの国の進歩的文化人が自国に対する批判としてアメリカ芸術を受容することにもなった。
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とあります。
私は、この文章を読んだ時、長い間疑問だった「現代美術」の謎が解けたような気がしました。
17歳で芸大に入り、K君からポロックやアド・ラインハルトの画集を見せられ「これが美術界の現実なんだ」と言われた時、それを否定する気持ちはありませんでしたが、何故それらの芸術が世界の美術界をそれほど支配しているのか、その理由が全く分からなかったのです。
しかし、パソコンのウィキペディアの「抽象表現主義」という項目の中にこの「CIAの美術工作」という一文を読んだ時に、「なるほど!」と長年の疑問が腑に落ちました。
美学的な意味や、哲学的な理由でそうなっているのではなく、国家が充分な予算を使ってわざとそうしていること、そしてそれはアメリカという超大国が「東西冷戦」という緊急事態に際してそれをしたということで、「それはあり得るだろう」と納得が行きました。
たしかにK君の先生でもあり、芸大の芸術学科の藤枝晃雄先生は、フルブライトなどの奨学金を受けてペンシルベニア大学などで「アメリカ現代美術美術」を学んでポロックで博士論文を書いていますし、美術評論家の東野芳明さんもデュシャン氏の日本への紹介を熱心にやっています。
アメリカからの資金がそのあたりにも使われていると思いますし、実際そうした工作は美術大学や美術館、美術評論家やマスコミなどに相当なされたと思われます。
ちなみに東野芳明さんは、私が1984年にPARCOのオブジェ展で大賞を取った時の審査員をされています。
My Kabul 小川 淳 1984 PARCO
特に美術大学などは一番工作しやすい場所だったと思いますし、都内の美術館やギャラリー、美術関係の出版社などにすべて工作すれば、かなりの成果は出せるでしょうし実際出していました。
私の芸大3年以降の担当教授の野田哲也先生もその流れの中にいた方だと思います。
先生のイギリスでの評価の高さやイスラエルとの関係の深さを考えれば当然のことでしょう。
日記 1968年8月22日 野田哲也
つまりK君が私にアメリカの現代美術のことを教えてくれた時はすでに、東京芸大やその周辺の都内の美術関係の様々な場所の多くにCIAの美術工作がしっかりなされていた、ということです。
1980年代でもまだ冷戦は終わってないので、アメリカ・アングロサクソンではなく、ヨーロッパ・ラテンに親近感があれば、CIAから見れば、それはソ連邦側であることを意味します。
スパイの活動は、映画の中の話だと思っていたら、絵の領域まで、それも自分のすぐ近くで、さらにはその時の構図を仮に当てはめたなら自分が否定される工作の対象になっていたとも言える話が実際にあったわけです。
ちなみにK君はCIAからは資金はもらって無いと思いますが、藤枝先生からは
「友人にまだルネサンスが良いなんていう人がいたら、『20世紀アメリカ現代絵画』を教えてあげなさい。」
と言われていたかも知れません(笑)。
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