名古屋の「現代美術」とドイツ [アート 現代美術]
1990年代の話ですが、名古屋に白土舎さんという「現代美術」系の画廊がありました。
私も白土舎を経営するTさんという方に色々お世話になりました。
Tさんは、奈良美智君という、今はすでに国際的な「現代美術」界で活躍され、今年の国際芸術祭「あいち2022」にも出している当時の若手の芸術家を応援していた方です。
Tさんはユマニテという画廊を経て独立され、「現代美術」業界に足場を持っていたプロの画商さんです。奈良美智君は、このユマニテや白土舎の支援を経て世に出て行きました。
奈良美智
私もその「白土舎」さんで1994年に展覧会をさせていただいたことがありました。
天竺塔より コロッセオ 小川 淳 1993
私のTさんの白土舎での展覧会は「天竺塔」というテーマで、「絵で描いた塔を写真にとってコラージュし、それをまた写真に撮る」という面倒な手法で制作をしたもので、ドイツで制作をして名古屋で発表したものです。今ならコンピューターですぐできる作品です。
天竺塔より 邪魔な塔 ケルン 小川 淳 /ドイツ 1991
その頃私は、まだ「現代美術」の世界に身を置いていましたが、この「天竺塔」を制作している時、なぜか
「これは、自分にとっては『現代美術』の卒業制作になるだろう」
という予感がしました。
ドイツでの一こま
その頃、私や奈良君、名古屋の河合塾の友人たちもドイツに住んでいました。
奈良君らはデュッセルドルフの芸術大学に行き、私は学校には行かず、制作もあまりせず、ドイツ人の女性と結婚して子育てなどをしていました。私は「イクメン」のはしりだと思います。
子供を持つことは大変なことだと思っていましたが、一方では子供はこんなにもかわいいものだということを私はドイツでの経験で知りました。
さて「現代美術」から離れ、収入も無い私にTさんが頼んでくれていた「ドイツ現代美術レポート」の提出のため、時々ケルンの街に出てはギャラリーを見て、写真とコメントを付けて毎月名古屋に送っていました。
ドイツでは、その頃ちょうど「ベルリンの壁」が崩壊しましたが、ある意味現地に近いところでドイツ人と一緒に住んでいてもあまりその衝撃は伝わらず、「壁が壊れたらしい」という話で終わったのが逆に印象的でした。
後で本当にショックを受けたのが、日本の新聞で「ベルリンの壁崩壊」の記事を「見た」時です。
あらためて私たちはマスコミの情報を通して「事実」を知覚するものだと思いました。
当時の西ドイツの「現代美術」の中心地 ケルン
私も白土舎を経営するTさんという方に色々お世話になりました。
Tさんは、奈良美智君という、今はすでに国際的な「現代美術」界で活躍され、今年の国際芸術祭「あいち2022」にも出している当時の若手の芸術家を応援していた方です。
Tさんはユマニテという画廊を経て独立され、「現代美術」業界に足場を持っていたプロの画商さんです。奈良美智君は、このユマニテや白土舎の支援を経て世に出て行きました。
奈良美智
私もその「白土舎」さんで1994年に展覧会をさせていただいたことがありました。
天竺塔より コロッセオ 小川 淳 1993
私のTさんの白土舎での展覧会は「天竺塔」というテーマで、「絵で描いた塔を写真にとってコラージュし、それをまた写真に撮る」という面倒な手法で制作をしたもので、ドイツで制作をして名古屋で発表したものです。今ならコンピューターですぐできる作品です。
天竺塔より 邪魔な塔 ケルン 小川 淳 /ドイツ 1991
その頃私は、まだ「現代美術」の世界に身を置いていましたが、この「天竺塔」を制作している時、なぜか
「これは、自分にとっては『現代美術』の卒業制作になるだろう」
という予感がしました。
ドイツでの一こま
その頃、私や奈良君、名古屋の河合塾の友人たちもドイツに住んでいました。
奈良君らはデュッセルドルフの芸術大学に行き、私は学校には行かず、制作もあまりせず、ドイツ人の女性と結婚して子育てなどをしていました。私は「イクメン」のはしりだと思います。
子供を持つことは大変なことだと思っていましたが、一方では子供はこんなにもかわいいものだということを私はドイツでの経験で知りました。
さて「現代美術」から離れ、収入も無い私にTさんが頼んでくれていた「ドイツ現代美術レポート」の提出のため、時々ケルンの街に出てはギャラリーを見て、写真とコメントを付けて毎月名古屋に送っていました。
ドイツでは、その頃ちょうど「ベルリンの壁」が崩壊しましたが、ある意味現地に近いところでドイツ人と一緒に住んでいてもあまりその衝撃は伝わらず、「壁が壊れたらしい」という話で終わったのが逆に印象的でした。
後で本当にショックを受けたのが、日本の新聞で「ベルリンの壁崩壊」の記事を「見た」時です。
あらためて私たちはマスコミの情報を通して「事実」を知覚するものだと思いました。
当時の西ドイツの「現代美術」の中心地 ケルン
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