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当時の東京芸大油画科 [アート 現代美術]

 デュシャン氏を「思想の核」とし、ポロック氏らの作品を「実弾」としたアメリカからの「美術文化」の総攻撃は、ヨーロッパや日本を情け容赦なく攻撃していました。

 大府中学校の森岡先生との出会いによって美術の道に進んだ私は、無事に難関の東京芸大に入ったものの、そこですかさず「現代美術」の洗礼を受け、絵を描くことができなくなって行きました。

 しかしそれは、学生の私だけに起きたことではなく、芸大の先生たちの身にもその洗礼は及んでいました。

 当時K君から、アメリカ抽象表現主義の画家の作品は色々見せてもらっていました。

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マーク・ロスコ WHITE CENTER (YELLOW, PINK AND LAVENDER ON ROSE), 1950 この作品は、2007年の当時の最高額の87億円で落札された。ロスコはその37年前に自殺。前の持ち主は100万円以下で購入したという。

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ウィリアム・デ・クーニングの画集 当時の新宿の予備校から芸大に入った同級生は、アメリカ抽象表現主義の画集をよく持っていた。

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ラウシェンバーグ そのクーニングのデッサンを消しゴムで消したドローイング

 芸大の油画科では、当然絵の授業はあり評価も出ます。
 しかしそこで先生方が言われる言葉や評価が私にはちんぷんかんぷんで何を言われているのか、何が評価の基準になっているのかがさっぱり分かりませんでした。

 一年生の前期でやる課題の石膏デッサンでは、割と自分では良くできたと思って、まわりの評価も高く、K君と親しくなるきっかけにもなった騎馬像のデッサンはとても悪い評価でした。

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コレオーニ将軍騎馬像デッサン 小川 淳 1977

 その理由が先生の話を聞いていても良く分からず、まさかそれがアメリカ現代美術と関係があるとはまだ思わなかったのです。
 先生方が言われることは脈絡が無く、何が言いたいのか分からず、私は不思議な異世界に迷い込んでしまったような気になりました。

 ただ抽象画を描いている杉全先生の言うことは、日本語として理解が出来ました。

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キッコウ 杉全 直 1961

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杉全先生の授業で制作した抽象ドローイング03 小川 淳 1978

 トリフォーの映画「華氏451度」の世界はフィクションではありませんでした。
 美術大学に入ったと思っていた私がいたところは普通には絵が描けない「現代美術」大学でした。

 2年生になって、大学に行かなくなった私は、芸大の寮のアトリエで制作することが多くなりました。

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寮のアトリエの壁に描いた壁画と私

 もともと中学生から暗かった私の絵は、芸大に入ってますます暗くなって行きました。

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イエス・キリスト 小川 淳 1979

小川 淳 ドローイングシリーズ01 1978s.jpg
磔 小川 淳 1978


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自画像 小川 淳 1978


 

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