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野田先生と中林先生 [アート 現代美術]

 その状況の中で見事に「現代美術」の流れに乗ってトップまで行っていた先生もいました。
 野田哲也先生という版画家の方です。

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日記 1978年12月6日 野田哲也

 私は3年生からこの先生と、銅版画の中林忠良先生に教わることになります。

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中林忠良「転位 '07-地-Ⅱ」 2007年

 森岡先生が版画家だったこともあり、野田先生は大学に入る前から知っていました。
 両先生は芸大の同級生で、絵はどちらも「奥行きが少なく平面的で、白黒で手作業の部分も少なく写真をメインにしている」ことが特徴です。
 私も特に意識したわけではありませんが、作品が平面的になっています。

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詩画集いつみきとてか より 小川 淳 1980 友人のW君と一緒に作った詩画集

 これは、アメリカ現代絵画が要求している「ヨーロッパ的ではない絵」という条件を満たしています。

 絵画のなかの「奥行や光の明暗、美しい色彩、上手な手作業の痕跡」などを出来るだけ少なくして、ヨーロッパ絵画の痕跡を消すことが暗黙の裡に求められていました。それが残っていると現代絵画としては評価の対象にならないのです。

 野田先生は、そこのところをかなり明確に意識されていて、ある意味ジャストミートしていると思います。とても賢い先生だったと思います。
 中林先生は、そこまで絵画性は消しきれなかったと思います。中林先生はパリが似合う雰囲気の先生でした。
 他の先生で、のちに退官記念展覧会の時に「表に出す作品は、現代美術風にしないといけなかったのが苦しかった」とおっしゃって、陰では別の絵を描いていたという先生もみえました。

 大学院の先輩たちの中には、それをさらに先鋭化した保科豊巳さん、川俣 正さん、田中睦治さんらがみえました。
 その方々は、まったく絵は捨てていました。

川俣正 《デストロイド・チャーチ》ドクメンタ8、カッセル(1987).jpg

川俣正 《デストロイド・チャーチ》ドクメンタ8、カッセル 1987 この作品は、友人のチャーリー氏と一緒にカッセルに見に行った。

 絵を捨てることで、世界のビエンナーレやトリエンナーレカッセルのドクメンタで活躍できるという姿を実際に私たちに示していました。
 ただそれで一体何が言いたいのかが私にはさっぱり分からなかったのです。


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