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降魔の剣、習近平と毛沢東を斬る [アート 文学 宗教]

  この「降魔の剣、習近平と毛沢東を斬る」という絵は、ある方に頼まれて描きました。その後、別の知り合いの方が絵をトランプ大統領に送ろうとしたのですが、届ける予定になっていた人が「過激すぎる」という事で持って行ってもらえなかったそうです。(本当かな?)
 しかし現実の世界で起きていることはもっと過激です。

名古屋正心館落慶4周年記念7s.jpg

 今年の11月3日のアメリカ大統領選挙で、民主党のバイデン候補側に様々な不正があったということがネットの話題になっています。
 選挙に不正があったかどうかについては、「あった」という人も「ない」という人もいて、両者の間で大きな議論になっています。また、そのこともあってトランプ大統領も「敗北宣言」を出さずにいます。
 かつてケネディ大統領も選挙で不正はしっかりしたようです。民主党のお家芸かも知れません。
それも含めたトランプ大統領のマスコミに対する「フェイクニュース」という一言は、民主党やマスコミ関係者にはきついい一言だったでしょう。

 ちなみにケネディ大統領もアメリカの「宇宙人情報」を公開しようとしたことが暗殺の一因だったという話もあります。他にドル紙幣の発行における不正の告発なども。

 
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神になりたかった男 [アート 文学 宗教]

 お隣の中国などは、国の方針として「神様はいない」という事になっています。それは今の中国を作った毛沢東という人が、「マルクス思想」を信じていたからで、「マルクス思想」によると「宗教は麻薬だ」という事になっています。そこでは、神の存在を否定しています。早い話が、神様じゃなくて俺を信じろ、と。


 マルクスはドイツの人ですが、家はユダヤ教徒です。マルクスの両親が宗教のことでしょっちゅう喧嘩するのを幼心に見ていたせいか、宗教を嫌っていたようです。



(マルクスの母)あなた、仕事がもらえてよかったわね。

(マルクスの父)ああ、一応宗教はキリスト教だと言っておいたのでね。ユダヤ教だと仕事はもらいにくくて。

(マルクスの母)えっ!そんなウソをついたの?嘘を付いちゃいけないって、モーゼの十戒にあるんじゃない!?

(マルクスの父)そんなこと言わないでくれ。家族のためなんだから。

(マルクスの母)よりによってあのキリスト教だなんて!罰が当たるわ(ガッチャーン=皿が割れる音)



 たぶん、こんなやり取りがあったのではないかと思われます。マルクスはまじめだったので、世の中の悲惨な様子を見て「こんなことを放置してるなんて神はいないに違いない」とも思ったようです。


 中国では今、習近平が自分を神のように崇拝させようとしていますが、かつては「秦の始皇帝」がそうでした。

 彼は大臣の李斯に勧められ、国中の本を集めて燃やさせました。それは「儒教」などの教えを勉強した学者などに、自分のやることを批判されないようにするためです。 そしてそれに抗議した学者たちを400人以上生き埋めにしたようです。これを「焚書坑儒」といいます。

 始皇帝を批判して、焚書のきっかけを作ったのは淳于越という学者です。名前に同じ淳がある小川 淳としてはちょっと気になります。

 その罰が当たったのか、その数年後に始皇帝は死に、国も滅びました。

 この絵で描かれている男性が、その「秦の始皇帝」です。



※一部「焚書坑儒」で燃やされなかった本は、農業、医学、占いなどの分野の本です。



KIMG3378s.jpg

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「エル・カンターレ神曲2020」展 [アート 文学 宗教]

 前回の神曲2010 in NAGOYA から早10年、場所も同じ名古屋栄のアートスペースA-1と名古屋市市制資料館で神曲2020が開かれました。
 今回のタイトルは「エル・カンターレ神曲2020」となりました。「神曲」の前にエルカンターレという名前が付いています。
 エル・カンターレとは何か? 初めて聞く名前かも知れませんが、仏教ではお釈迦様であるブッダの上の「本仏」、またキリスト教ではイエス・キリストが「わが父」と呼び、イスラム教では「アッラー」そのもの、つまりこれまで地上に現れた神様の、もう一つ上にいる神様のことです。
 地球では一番偉い神様で、いろいろな神様の上にいる存在なので、別名「神々の長」とも言われています。
 またの名を「地球神」。



 「上には上がある」という言葉があります。お釈迦さまやイエス様より偉い方がいないと考えるのは不自然かも知れません。もちろんまったく神を信じない人にとってはそれはどうでもいい話かも知れませんが、そのような存在は実在していると思います。ただそれをあまり言ってしまうと、宗教アレルギーの人や、宗教には関心があるが深入りしたくないという人にとってはつらくなるかも知れません。
 この「エル・カンターレ「神曲展」では、絵画や美術などの視覚芸術を通して、その「地球神エル・カンターレ」という存在に関心を持っていただき、楽しんでいただきながら興味を持続していただけるようなスタンスで行きたいと思っています。
神曲2020チラシ01おもてs.jpg

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神曲チラシ 第一弾完成! [アート 文学 宗教]

神曲2010 展のチラシ、第一弾が出来てきました。

chirashi_nakamura_ogawa.JPG

表側は、岐阜の土岐市の画家、中村裕二さんの前回の作品「レア」です。後ろ側は小川 淳の作品「火星天」です。

それぞれのコピーを、ダンテの「神曲」から採っています。


                夢の中で              永遠に続かないものへの愛執ゆえ

            若く美しい娘が 花を摘み           真実の愛を見失うものは

           歌いながら野辺を行くのを見た          果てしなく嘆くことになる


チラシご希望の方は、神曲 in NAGOYA ホームページよりご連絡下さい。
自分で言うのもなんですが、なかなかいい出来映えだと思います。

ただ、どうも演劇のチラシだと思われているようです。

第二弾には、「神曲絵画展」と入れようかとも思ってます。





ニーチェ再び [アート 文学 宗教]

美術関係者や、文学の方でも、【{”ニーチェ”}】ファンは結構多いと思う。

【{”ニーチェ”}】と、たくさんの括弧で括ったのは、防護幕を張ったつもり(笑)です。

彼自身は、マルクスと同じように、もともと「悪いことをしよう」としていたわけでなく、まじめに、人一倍真剣に哲学していたに違いないと思う。だから多くの人の心を打つのだ。

しかし、そういう人の中でも、間違った考えを述べた場合、それが地獄行きになることがある。
そこが怖いところだ。

もし人々が、本屋に並んでいるマルクスやニーチェの本を見たときに、死後霊となった彼らがどこにいるかが見えたなら、その本は手に取らないだろう。

いや、だからこそ手に取るのかもしれない。


nietzsche1ss.JPG

ダンテの時代には、ニーチェはいなかった。彼は、しかし、前世に中世の時代に修道僧として生まれ、自らに鞭打って苦行に明け暮れたという話を聞いたことがある。

神曲2010 始動 [アート 文学 宗教]

「神曲2010」展 始動しました。

chirashi_ogawa_s.jpg

今回は、3会場、参加者も30名以上と、第一回展と比べ3倍になりました!

3に深い意味を持たせていたダンテさんにちなんで縁起がいいですね。

chirashi_nakamura_s.jpg

こちらのチラシは、中村裕二さんのテンペラ+油彩画です。




絶望の哲学者ニーチェ [アート 文学 宗教]

 辺獄(リンポ:地獄界最上部)に、ソクラテスやプラトン、またエピクロスが登場してきたので、そこに長く留まってしまった。
 実際はソクラテスはもっともっと上の方に、エピクロスはもっともっと下の方にいるようです。
 もう一人だけ地獄と縁の深い人で、美術や文芸関係の有名人といえば、何と言ってもドイツの哲学者フリードリッヒ・.ニーチェ(1844-1900)だろう。
 この人のファンも美術界には結構多く、「ニーチェは地獄にいる」と言ったら、「それはニーチェがかわいそう」と言われたことが何度かあった。

 あれだけ大声で「神は死んだ」と言っておいて、どうして天国の門を開けてもらえるだろうか?という話だが、案の定地獄の最深部でもだえ苦しんでいるらしい。
 マルクスを、巨大な工場からモクモクと排出される有害な煙に喩えると、ニーチェは、揮発性の劇薬と言った感じがする。その劇薬の入ったビンのまわり数メートル以内に近付くと、早くも頭がクラクラとしてくる。

それで、写真の代わりに、イラストを載せた。クリックすると・・・・・!

nietzsche1ss.JPG

 インターネットで「ニーチェ」を検索しただけで、「やばい」という雰囲気がすでにして来る。だから逆に人によっては、「ニーチェ」は、ある種の麻薬的な効果があるかもしれない。こういうものを野放しに放っておいていいのか?という疑問は実はある。

 文章、または思想の公害とでも言おうか。こういうことを言うと、「言論弾圧だ」と、お叱りを受けるかもしれないが、実際ニーチェのまわりには、頭痛を引き起こすような何かがあるのだ。短い文章であっても、ニーチェを誰でも読めるようにしておくのは、毒薬の瓶のふたを開けたまま、路上においておくようなもので、危険極まりない。

 マルクスの思想ももちろん毒性があるが、新聞やテレビなどを通して、すでに繰り返し繰り返し人々の目や耳を通して入ってきているので、あらためておかしいとは感じ無いかも知れない。

 それはそれで怖いのだが、太宰治が文学少女の心を捉えるように、ニーチェの毒性は、いっそう強烈に、文学青年の心を魅了する。

マルクスが今いるところ [アート 文学 宗教]

 マルクスを地獄に堕としてしまった。
 ある人々は
「許すまじ、神曲2008!」
と憤慨されているかも知れない。

 僕もマルクスが憎くてやっているわけでない。
 彼はかわいそうな人で、晩年あまり本も売れなくて、エンゲルスなどの友人に経済的援助を受けながら、一人肘掛け椅子に座ったまま死んだ。
 彼は今、本当は地獄にはいなくて、「無意識界」という天国でも地獄でもない世界に「隔離されている」らしい。
 本人の意識は、やや朦朧としていて、「何となく調子が悪い」と感じているようだが、自分が死んだという意識は無いようだ。といって、活発に活動している訳でもないので、「何か変だな」と思っているのだが、何がどうなっているのかは分からないまま、ぼんやりと百年以上が過ぎている。相変わらず、不満だけはいっぱい持っている。

 マルクスや、エピクロスなどの「唯物論」者の考えでは、「死んだらすべて終わる」と考えているので、死んでもまだ意識がある場合は、それを死とは認められないようだ。
 だから、「自分はまだ生きている」と思っているが、何年も食べ物を食べていないし、人とも会わないので、「何か病院で麻酔でも打たれたのか?」「夢が長く続いているのか?」のように思うことが多いようだ。

 マルクスの場合は、「思想犯」として、地獄に行ってもおかしくないのだが、動機が善だったからか、本来天使だったからか、神の慈悲として「無意識」の状態で隔離されている。地獄に行くと、それなりの自由性があって、まわりに悪影響を与えるので、それはさせないようにしているようだ。

 彼はやはり、自分のことをイエス・キリストのような「救世主」だと思っている。

心優しきマルクスの地獄 [アート 文学 宗教]

 現代に生きる人の中で、
「私はエピクロスが大好き!エピクロスさんを地獄に堕とすなんて許せない!」
というほどのエピクロスファンはあまりいないと思うので、彼が「『地獄』で二百年以上も苦しみの中を彷徨った」と書いても、さほど反発を受けることはないと思う。しかし、この人の場合はどうだろうか?

Karl_Marx[1].jpg

 カール・マルクス(1818-1883)。
 ドイツの哲学者で経済学者、共産主義革命を提唱し、世界中で数多くの人が彼の影響の下に生き、そして死んだという意味では大革命家でもあった。
 この人は、今でこそ表向きはすでにヒーローの座からは退いているが、「隠れマルクスファン」は、結構いるのではないだろうか?この神曲2008のメンバーの中にも、
「おいおい、まさかマルクスを地獄に堕とすんじゃないだろうな!?」
という人もいるかも知れない。そういう僕自身も、この人の考え方にかなり影響を受けていた時代があった。
 
 しかし、マルクスの思想は、そのような理想を求める若者の心を静かに蝕んでいく。
 恐ろしい毒薬なのだ。この毒薬を飲むと、自分のことは棚に上げて、社会に対する不満や、成功者や金持ちに対する嫉妬、敵意だけが異常に増していく。

「あなたが苦しいのは、社会の仕組みが悪いからだ。あなたが貧しいのは、あなたが生み出した価値を大企業が吸い取っているからだ。あなたは悪くない。資本主義に問題があるのだ。さあ、世の中を変えて行こう!」

 苦しんでいる時に、優しくそうささやきかけられたら、本来持っている前向きな克己心を投げ出してしまうかも知れない。それをまたマスコミが「そうだ、そうだ」とあおる。

 本人は、人生に光明が差して来た感じになって、気が付いたら"不満だらけの貧乏人”になっていく。これを「地獄」と言わずにいられようか。

 本当に変えなければならないのは、社会や他人ではなく、まず自分自身なのだ。

Karl_Marx[2].jpg

 カール・マルクスは、死後百年以上、「無意識界」で、隔離された生活を送っているらしい。彼は、自分が死んだことすらまだ分からずにいる。

 彼を信じる人がこの世からいなくなり、地獄の再生産がストップするまでは、マルクスは浮かばれないだろう。
 本当に彼の理想に共感するならば、自分を弱者などと思わずに、力強く生きていくことだろう。
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「無意識界」地獄 [アート 文学 宗教]

 このエピクロス氏は、大体二百年くらい地獄にいたらしい。
 どういう地獄か、というと「無意識界」といって、”自分が死んだ事すら分からない世界”だったようだ。
 普通の人間なら、あの世の存在を信じていなくても、食べ物を食べずに何年も平気だったり、誰に声を掛けても聞こえなかったり、ということが数十年も続けば、「いい加減何かがおかしい・・・」と思い始めるのだが、エピクロスのような、筋金入りの「唯物論」者は、その反作用が二百年も続くのだ。

 「死んだら何もかも消滅する」ということを、本当に固く信じていたなら、死んでも意識があるとなると、「俺はまだ死んでいない」と思うらしい。「では、この状態は何なのか?」と自問自答するのだが、答えは得られない。
 しかも彼を信じる人が、次々と彼の後を追って来るのだ。

 問題は、その人が地上で成功していなければ、「俺、何か間違ったかな?」と、反省できる可能性があるのだが、成功してる人は意外と反省ができなくなっている。ここが怖いところである。失敗は人を謙虚にするが、成功は時に人を盲目にもする。

 このエピクロスという人は、結構成功した人のようで、アテネに家を買い、学校を開いて、彼を信じる人たちとの共同生活をしながら、エピクロス学派を広げていった。と言っても、ほぼそこに引きこもって心の平安を守っていたようである。
 学校は、300年後のシーザーの時代もまだ14代目の校長が続けていたらしい。
 それだけ繁盛したとなると、次々と師のエピクロスのあとを追ってお弟子さんが次々と地獄の「無意識界」に直行して行ったであろう。
 指導者が間違った場合は、普通の人が間違えた時以上に反作用が大きくなる。しかもそれが地上で成功すればするほど、死後の苦しみもどんどん大きくなる。まさに地獄だ。それだったら成功などしない方がよっぽどましだろう。

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「神曲」では、地獄篇第三十二歌 コキュートスの氷漬けの地獄が「無意識界」のイメージとしては近いように感じるが、この「無意識界」の部分はほとんど書かれていない。  哲学界や宗教界の指導者で、間違った教えを説いた場合は、仏教では「阿鼻叫喚地獄」という地獄に行く。その先にはさらに「大阿鼻叫喚地獄」というものもあり、そこには仏陀を傷つけたものが行くことになる。

 日本でも、比較的多くの人に影響を与えている解剖学者のY氏なども、霊魂の存在やあの世の存在を否定し、「脳の作用」に帰しておられる。
 僕が非常勤講師をしているN学芸大学でも、数年前にこのY先生をお呼びして講演会をしていただいたが、この方や、この方を持ち上げている方々なども、死後集団で「無意識界」に行くことになるのではないかと心配している。愛ある方なら、彼らのミスリードを止めてあげて欲しいと思う。
 僕は、愛が足りなくて、その講演会に行かなかったが、行った学生に「Y先生の話、どうだった?」と聞いたら、「すみません、眠ってしまいました」との答えだった。日頃は話の最中に眠られると困るのだが、このときは「良く眠った、えらい!」と言ってあげたかった。
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