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地獄篇 第三歌 地獄の門 [アート 文学 宗教]

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 そうしてダンテとヴェルギリウスは、地獄に入って行った。
 地獄の入口には門があり、次のように書かれていた。

”我をくぐるものは憂ひの都へ、

 我をくぐるものは永遠の苦悩が、

 我をくぐるものは破滅の人となり

 正義は尊き主をして、

 聖なる力、最高の智慧、

 原初の愛は、われを造る

 われより先に創られたものはなく、

 ただ永遠のみが無限に続く

 この門をくぐるものよ、一切の希望を棄てよ ”

 ダンテはヴェルギリウスに手を引かれ、門を抜けていくと、そこには悲惨な連中が大勢うごめいていた。

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 ためいき、泣き声、苦しみや怒りの声が、交じり合って、騒然たる音を立て渦巻いていた。
 ダンテは、

”先生、この耳を聾する騒音は何ですか?・・・

 ああ、頭が締め付けられるようだ・・・・

 彼らはいったい何者ですか?・・・

 なぜああひどく泣き叫ばなければならないのですか?・・・・

 彼らの罪はそれほど重いのですか?

 先生、彼らは・・・”

 と思わず涙ぐみながら聞くと、ヴェルギリウスは、


” 彼らは、誉れもなく、またそしりもなく生涯を送った哀れな者たちだ。

 神に仕えるでもなく、また叛(そむ)くのでもなく、ただ自分たちのためだけに存在した卑しき天使の群だ。

 天国はこうしたものに汚されるのを嫌い、奴らを受け入れないが、

地獄もまた、奴らを受け容れない。

 悪党どもがかえって威張りだすからだ。

 奴らには死の希望すらない。

 彼らについてはもう語るな。黙って通り過ぎるのだ。”

と答えたので、ダンテはしゃべるのをやめた。
 無数の人々が、体中を虻や蜂に刺されながら、たなびく旗を追うように進んで行った。
 彼らの足元では、彼らが流した血と涙を、忌々しい虫たちが舐めていた。

(写真)ロダン作 地獄の門 国立西洋美術館

三人の女神のはからい [アート 文学 宗教]

 
 ”私は、天国でも地獄でもない連中といたのだが、清らかな美しい女性が私を呼ぶので、伺い出た。

 その方の両の目は、星よりも明るく、さわやかでゆったりとした天使のような声で私に話すのだ・・・・

 『私の友で運のない人が、人気のない浜辺で、猛獣たちに道をふさがれ、もと来た道を引き返そうとしています・・・

 もう手遅れなのでは・・・さあ急いで、あなたの雄弁で彼を救ってやってください。

 私はベアトリーチェ。愛に心動かされ愛により申し上げます、どうか彼を救ってやって・・・・・』 ”

 ベアトリーチェによると、最初にダンテを哀れに思ったのは、彼女よりもさらに天国の上の方に住まわれているマリア様だった。
 マリア様が、”人生の半ばで、正しき道を踏み外してしまったダンテ”を救おうとして、その愛の思いをかたわらのルチアへ伝え、それがルチアを通してベアトリーチェへ、そして最後にヴェルギリウスへと伝わったのだ。

 ”こうして私はおまえのところに来た。

 さあどうする? 何を迷う? このような祝福されたお三方が、

天上にあっておまえを心配して下さっているのだ ・・・”

 その言葉を聴いて、ダンテは、

”夜の冷気にあたってしぼんで頭を伏せていた小さな花が、

お日様が出るときらきらと光り、

みな頭をもたげて茎の先に花開くように”

”私を助けてくださった情け深いお方・・・

 あなたのお話を聞いて、行きたい、という気持ちが強く心に湧きました。

 最初の決心に戻りましたから、さあ行きましょう。”

 そう言ってダンテはヴェルギリウスのあとについて陰惨な地獄への旅に踏み出した。

 実は、堕落し絶望したダンテを救うには、”本当に堕落して死んだ者たち”が地獄で苦しむ姿を、生きているダンテに見せるしかない、というのが、女神たちの考えだったようだ。
 そして文才があるダンテに、その様子を書かせ、それを人々への警告と啓蒙の書とする、という考えがより深いところにあったわけだ。

聖母マリアが、ルチアを通してベアトリーチェに思いを伝えるこの場面は、G・ドレも描いていません。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」 天使はウリエル

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聖ルチア、フランチェスコ・デル・コッサ画。
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