地獄に落とされた偉人の名誉回復 [アート 文学 宗教]
その後ダンテは、ヴェルギリウスと共に、ホメロスらの高名な詩人たちに出迎えられ、楽しい時を過ごす。
ダンテは六番目の詩人として彼らの仲間に招きいれられた。
”まわりを、美しい小川が流れる、ある高貴な城の中には、シーザーや、アリストテレス、
ソクラテス、プラトンまでもいる。デモクリトス、タレス、キケロ、セネカ、ユークリッド、アヴェロエス・・・・
こうした学者すべてについて存分に述べる事は出来ない。
詩題が長く、私はせかされているから、どうしても事が余って舌足らずになってしまうのだ・・・
六人の連れはまたもとの二人に戻り、新しい別の道を通って聡明な先達は私を導く。
静寂の中から出て、ゆらめく大気の中に入る。
そして私は光明のない場所に来た。”
この場面の描写を読んでいると、そこは地獄と言うよりも天国。 お城の中は静かで光明に満たされている。まさに天国の情景だ。 しかも、そこにいるのはソクラテスやプラトンらの偉大な哲学者。 それでも、イエス・キリスト以前に生まれた人は、たとえどれほどの偉人であっても、天国には行けない、というのがキリスト教の教義なのだ・・・。 それをおかしく思ったのは、ダンテだけではない。 ラファエロが描いた「アテネの学堂」では、地獄に落とされてしまった偉人たちが、勢ぞろいで登場し、名誉回復を受けているようにも見える。めでたし、めでたし。
ダンテの「神曲」で、地獄の最上部の辺獄(リンポ)にいることになっている偉人たち
プラトンとアリストテレス
ユークリッドとプトレマイオス
アヴェロエス(白いターバンの人)
ラファエロ アテネの学堂(全体像) 1509 Fresco Stanza della Segnatura, Palazzi Pontifici, Vatican
ちなみにラファエロは、別の壁画の中にダンテの肖像も描いていて、それがイタリアの2ユーロ硬貨のデザインにもなっている。
ラファエロ 聖体の議論 より 1510-11 Fresco Stanza della Segnatura, Palazzi Pontifici, Vatican
ダンテは六番目の詩人として彼らの仲間に招きいれられた。
”まわりを、美しい小川が流れる、ある高貴な城の中には、シーザーや、アリストテレス、
ソクラテス、プラトンまでもいる。デモクリトス、タレス、キケロ、セネカ、ユークリッド、アヴェロエス・・・・
こうした学者すべてについて存分に述べる事は出来ない。
詩題が長く、私はせかされているから、どうしても事が余って舌足らずになってしまうのだ・・・
六人の連れはまたもとの二人に戻り、新しい別の道を通って聡明な先達は私を導く。
静寂の中から出て、ゆらめく大気の中に入る。
そして私は光明のない場所に来た。”
この場面の描写を読んでいると、そこは地獄と言うよりも天国。 お城の中は静かで光明に満たされている。まさに天国の情景だ。 しかも、そこにいるのはソクラテスやプラトンらの偉大な哲学者。 それでも、イエス・キリスト以前に生まれた人は、たとえどれほどの偉人であっても、天国には行けない、というのがキリスト教の教義なのだ・・・。 それをおかしく思ったのは、ダンテだけではない。 ラファエロが描いた「アテネの学堂」では、地獄に落とされてしまった偉人たちが、勢ぞろいで登場し、名誉回復を受けているようにも見える。めでたし、めでたし。
ダンテの「神曲」で、地獄の最上部の辺獄(リンポ)にいることになっている偉人たち
プラトンとアリストテレス
ユークリッドとプトレマイオス
アヴェロエス(白いターバンの人)
ラファエロ アテネの学堂(全体像) 1509 Fresco Stanza della Segnatura, Palazzi Pontifici, Vatican
ちなみにラファエロは、別の壁画の中にダンテの肖像も描いていて、それがイタリアの2ユーロ硬貨のデザインにもなっている。
ラファエロ 聖体の議論 より 1510-11 Fresco Stanza della Segnatura, Palazzi Pontifici, Vatican
洗礼を受けていない偉人たち [アート 文学 宗教]
”それを聞いたとき、私の心はひどく痛んだ。
というのは、とても価値ある人々がこの辺獄(リンポ)の中にいて、
どっちつかずになっているのを知ったからだ。
ダンテはヴェルギリウスに聞いた。
「先生、言ってください・・・その人自身の価値なり、他人のおかげなりで、
ここから外に出て祝福される身となった人は、まったくいないのですか?」
ヴェルギリウスは、ダンテの心をよく理解して答えた。
ミケランジェロ 「アダムの創造」 1508-12 Fresco Cappella Sistina, Vatican
「私がここに来て間もない頃だったが、勝利のしるしをつけた力ある方がここに来た。
その方は、アダムや、その息子のアベル、ノアや、モーゼ、アブラハムやダビデ・・・
その他大勢の人を、ここから連れ出して祝福を与えた・・・
それ以前には、救われたものは誰もいないのだ。」”
ちなみに、ミケランジェロのこの大天井画「天地創造」は、依頼主としては、本当はここにキリスト教の十二使徒を描いて欲しかったらしい。それをミケランジェロが説得し、画題を変えさせたそうである。 ミケランジェロくらいになると、依頼主よりも描くべきものが良く分かっていたのだろう。われわれ凡人画家が、それをまねすると、「失業」という地獄が待ち受けている。
ミケランジェロ「モーゼ」S. Pietro in Vincoli, Rome 1515
ミケランジェロ 「ダビデ」Galleria dell'Accademia, Florence 1505
というのは、とても価値ある人々がこの辺獄(リンポ)の中にいて、
どっちつかずになっているのを知ったからだ。
ダンテはヴェルギリウスに聞いた。
「先生、言ってください・・・その人自身の価値なり、他人のおかげなりで、
ここから外に出て祝福される身となった人は、まったくいないのですか?」
ヴェルギリウスは、ダンテの心をよく理解して答えた。
ミケランジェロ 「アダムの創造」 1508-12 Fresco Cappella Sistina, Vatican
「私がここに来て間もない頃だったが、勝利のしるしをつけた力ある方がここに来た。
その方は、アダムや、その息子のアベル、ノアや、モーゼ、アブラハムやダビデ・・・
その他大勢の人を、ここから連れ出して祝福を与えた・・・
それ以前には、救われたものは誰もいないのだ。」”
ちなみに、ミケランジェロのこの大天井画「天地創造」は、依頼主としては、本当はここにキリスト教の十二使徒を描いて欲しかったらしい。それをミケランジェロが説得し、画題を変えさせたそうである。 ミケランジェロくらいになると、依頼主よりも描くべきものが良く分かっていたのだろう。われわれ凡人画家が、それをまねすると、「失業」という地獄が待ち受けている。
ミケランジェロ「モーゼ」S. Pietro in Vincoli, Rome 1515
ミケランジェロ 「ダビデ」Galleria dell'Accademia, Florence 1505
地獄篇 第四歌 洗礼を受けていない罪 [アート 文学 宗教]
G・ドレ 神曲 地獄篇 第4歌
この場面は、キリスト教の信仰を持たなかった人々の住む地獄である。
雷鳴で目を覚ましたダンテにヴェルギリウスは言う。
「この下界にいる人たちの苦悶を思うと、私の顔に憐れみの色が浮かぶのだ。それをおまえは恐怖と勘違いしているが・・・急ごう。」
そこは、辺獄(リンポ)というところで、そこにいる人々は、先ほどの人とは違い、ため息をついていたが声を上げて泣くことはなく、悲しみはあっても拷問や責めはなかった。
「彼らは罪を犯したのではない。徳のある人々かも知れぬ。だがそれでは不足なのだ。洗礼を受けてないのだ・・・」
「実は自分もその一人だ。こうした落度のために私たちは破滅した。他に罪は無いのだが・・・」
とヴェルギリウスは言った。
さて、この場面、どう思われます?