ケルンの地獄絵 その2 [ドイツ ケルン 地獄絵]
シュテファン・ロッホナーの絵の細部。
面白い、と言っては不謹慎かも知れないが、実物を見たときは、怖いとか、気持ち悪いと言うより、「面白い」という感じが強くした。一緒に見たドイツ人も似たようなことを言っていた。
真ん中の男を、天使と悪鬼が奪い合っている。
奥の方に見えるターバンを巻いた人々は、やはりイスラム教徒だろうか。
右側の怪物は、とても人々を襲っているようには見えない。涙を流している。むしろ同胞に助けられようとしているか、または逆に責められているか・・・・
ドイツ人の彼にとっても、このような絵は、僕らが仏教的な地獄図を見るのと同じような感じで、「面白い、こんなの始めて見た」というのに近い経験だったようだ。彼の周辺の人たちが、先ほどの理由から、宗教離れを起こしていて、日常的にこういうものを見る機会が無くなっているのだ。
僕の知る範囲では、彼らはこういう絵を見ても拒絶反応はしない。彼らが嫌っているのは、地獄という存在ではなく、すべての人を「罪人」と見なすような考え方、特にキリスト教の「原罪」という「思想」に対してなのだ。罪がある人間が、死後地獄に行くという話は、彼らも納得はする。
しかし、罪もない人間であっても、「人間である事がそもそも罪である」というキリスト教の考えに対しては、納得もしないしそんな教えに係わりたくもない様子だった。
面白い、と言っては不謹慎かも知れないが、実物を見たときは、怖いとか、気持ち悪いと言うより、「面白い」という感じが強くした。一緒に見たドイツ人も似たようなことを言っていた。
真ん中の男を、天使と悪鬼が奪い合っている。
奥の方に見えるターバンを巻いた人々は、やはりイスラム教徒だろうか。
右側の怪物は、とても人々を襲っているようには見えない。涙を流している。むしろ同胞に助けられようとしているか、または逆に責められているか・・・・
ドイツ人の彼にとっても、このような絵は、僕らが仏教的な地獄図を見るのと同じような感じで、「面白い、こんなの始めて見た」というのに近い経験だったようだ。彼の周辺の人たちが、先ほどの理由から、宗教離れを起こしていて、日常的にこういうものを見る機会が無くなっているのだ。
僕の知る範囲では、彼らはこういう絵を見ても拒絶反応はしない。彼らが嫌っているのは、地獄という存在ではなく、すべての人を「罪人」と見なすような考え方、特にキリスト教の「原罪」という「思想」に対してなのだ。罪がある人間が、死後地獄に行くという話は、彼らも納得はする。
しかし、罪もない人間であっても、「人間である事がそもそも罪である」というキリスト教の考えに対しては、納得もしないしそんな教えに係わりたくもない様子だった。
ケルンにも地獄絵が・・ [ドイツ ケルン 地獄絵]
さらにまだまだたくさんの地獄の絵がある。
最後の審判 板に油彩 1435
シュテファン・ロッホナー(Stefan Lochner, 1400-1451)は、ゴシック後期にケルンで活躍した画家だ。
僕が、1989年にケルンで住み始めた時、ライン川のほとりにある美術館で、この作品を見た。
当時、「現代美術」に関心があり、古典絵画はほとんど興味がなかったのだが、この作品や、それ以外のキリスト教系の作品には強い印象を受けた。
しかし、全体に共通するあまりのグロテスクさに、「ちょっとやり過ぎではないか?」とも思った。
美術館には、イエス・キリストの悲劇性を強調しすぎている表現が多かった。僕が付き合ったドイツの人の多くは、「カトリックは牢獄だ」とはっきり言っていて、その教えをとても毛嫌いしていたが、その理由は「あなた方は罪人である」という教えにあるような気がした。
最後の審判 板に油彩 1435
シュテファン・ロッホナー(Stefan Lochner, 1400-1451)は、ゴシック後期にケルンで活躍した画家だ。
僕が、1989年にケルンで住み始めた時、ライン川のほとりにある美術館で、この作品を見た。
当時、「現代美術」に関心があり、古典絵画はほとんど興味がなかったのだが、この作品や、それ以外のキリスト教系の作品には強い印象を受けた。
しかし、全体に共通するあまりのグロテスクさに、「ちょっとやり過ぎではないか?」とも思った。
美術館には、イエス・キリストの悲劇性を強調しすぎている表現が多かった。僕が付き合ったドイツの人の多くは、「カトリックは牢獄だ」とはっきり言っていて、その教えをとても毛嫌いしていたが、その理由は「あなた方は罪人である」という教えにあるような気がした。
神曲とボッティチェッリ [アート 文学 宗教]
さて、もう一人同時代の画家で、地獄絵というよりも、「神曲」そのものを描いている画家がボッティチェッリ(1444-1510)だ。
彼は、ダンテの「神曲」の絵を90点描いている。メディチ家から依頼されたらしい。そのほとんどがスケッチだが、まとまった「神曲」の絵としては、G.ドレ、W.ブレイクについで多い。
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄篇第18歌
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄篇第19歌
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄の構造
イタリア発行のユーロ硬貨に、ダンテ(ラファエロ画)とボッティチェッリのビーナスの誕生が使われている。(硬貨の裏面は、各国独自のデザインがされている)
ダンテは2ユーロ ビーナスの誕生は0.1ユーロ
彼は、ダンテの「神曲」の絵を90点描いている。メディチ家から依頼されたらしい。そのほとんどがスケッチだが、まとまった「神曲」の絵としては、G.ドレ、W.ブレイクについで多い。
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄篇第18歌
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄篇第19歌
サンドロ・ボッティチェッリ 神曲 地獄の構造
イタリア発行のユーロ硬貨に、ダンテ(ラファエロ画)とボッティチェッリのビーナスの誕生が使われている。(硬貨の裏面は、各国独自のデザインがされている)
ダンテは2ユーロ ビーナスの誕生は0.1ユーロ
地獄絵といえば・・・ボッシュ [アート 文学 宗教]
前項で、「行ってみたい!」と思ったイタリア中部の町オルヴィエートは、実際は15年前に行っていたのを思い出した。
その頃、僕はドイツに住んでいて、イタリアにもよく遊びに行っていた。トスカーナとウンブリアをよく訪ね、たしかこの町にも来た。夏の暑い日だったが、見晴らしのいい高台で、おいしいジェラートを食べながら風に吹かれていた記憶が蘇ってきた。
しかし、肝心のシニョレッリの絵は見なかった。というか、まったく知らなかった。
今は、絵を描く事、絵が描けることに幸福感を感じているが、当時は「美術の世界で生きていくことは果たしてできるのだろうか・・・」と疑問や不安を感じていた。
さて、土佐光信、シニョレッリと同じ時代の画家としては、ボッシュ(またはボス)という有名な画家がいる。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch/本名:Jeroen van Aken、1450-1516)
地獄絵において、彼は忘れてはならない画家だ。
快楽の園(1480年 - 1500年頃)(プラド美術館)
その頃、僕はドイツに住んでいて、イタリアにもよく遊びに行っていた。トスカーナとウンブリアをよく訪ね、たしかこの町にも来た。夏の暑い日だったが、見晴らしのいい高台で、おいしいジェラートを食べながら風に吹かれていた記憶が蘇ってきた。
しかし、肝心のシニョレッリの絵は見なかった。というか、まったく知らなかった。
今は、絵を描く事、絵が描けることに幸福感を感じているが、当時は「美術の世界で生きていくことは果たしてできるのだろうか・・・」と疑問や不安を感じていた。
さて、土佐光信、シニョレッリと同じ時代の画家としては、ボッシュ(またはボス)という有名な画家がいる。
ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch/本名:Jeroen van Aken、1450-1516)
地獄絵において、彼は忘れてはならない画家だ。
快楽の園(1480年 - 1500年頃)(プラド美術館)
光信とシニョレッリ [アート 文学 宗教]
前項の土佐光信(1434-1525)の絵は面白い。地獄と言うか、三途の川の描写を緻密にしていながら、どことなくユーモラスでおおらかな感じもする。
同じ時代のイタリアでは、ほぼ同じ頃に生まれ、同じ頃に死んでいるルカ・シニョレッリ(1445-1523)という画家がいる。
ミケランジェロは、彼の絵の人体表現の力強さを賛嘆していたという(ヴァザーリによる)。
このシーンちょっとボケているが、三途の川のカロンが、死者のもとに船でやってくるシーンだろう。
どちらもイタリア中部オルヴィエートの大聖堂の天井壁画である。
この写真を見ると「行ってみたい!」と思います。
同じ時代のイタリアでは、ほぼ同じ頃に生まれ、同じ頃に死んでいるルカ・シニョレッリ(1445-1523)という画家がいる。
ミケランジェロは、彼の絵の人体表現の力強さを賛嘆していたという(ヴァザーリによる)。
このシーンちょっとボケているが、三途の川のカロンが、死者のもとに船でやってくるシーンだろう。
どちらもイタリア中部オルヴィエートの大聖堂の天井壁画である。
この写真を見ると「行ってみたい!」と思います。
三途の川 [アート 文学 宗教]
もちろん、三途の川は日本にもあり、というか「西洋にも三途の川があったの?」というのが、正直なところかもしれない。
この絵は、土佐光信画『十王図』にある三途川の画。
善人は川の上の橋を渡り、罪人は悪竜の棲む急流に投げ込まれるものとして描かれている。左上には、懸衣翁が亡者から剥ぎ取った衣服を衣領樹にかけて罪の重さを量っている姿が見える。
(ウィキペディアより)
懸衣翁(けんえおう) 死後の世界の三途の川のほとりにある衣領樹(えりょうじゅ)という木の上、または川辺にいる奪衣婆の隣にいるといわれる老人である。奪衣婆と共に十王の配下で、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣類を衣領樹の枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計るとされる。(ウィキペディアより)
このブログでは、このように地獄関連のものを色々紹介してはいるが、別に僕が地獄好き、ということではない。
正直、地獄について書いたり、紹介したりというのは、あまり気持ちがいいものではない。出来れば見ないで過ごしたい。しかし、死後、”自分はそのような世界へ絶対に行かない”、と言い切れるかどうか? ”ひょっとして行くかも”、という可能性があれば、生きているうちに反省しておく必要がある。そういう意味で、地獄に堕ちないためには、生前に地獄研究もしておくのも必要なことかもしれないと思っているわけだ。
地獄の渡し守 カロン [アート 文学 宗教]
”貴様ら”!悪党どもに災いあれ!”
突然の怒鳴り声と共に、船に乗った白髪の老人が現われた。
小川 淳 地獄の渡し守カロン アクリル
”わしは貴様らを、永遠の闇の中に、灼熱と氷の岸辺に追いやるために来たのだ!さあ、さっさとこの船に乗らんか!”
と言いながら、手に持った櫂で、そこに集まってきていた亡者どもを打ち据えながら、目の前の川を渡る船に彼らを追い込んで行った。老人は、「三途の川」の渡し守のカロンだ。
”おいおまえ、生きているな。生きている奴は、ここを通すわけには行かぬ。離れておれ。”
ヴェルギリウスに連れられて、三図の川の岸辺に来ていたダンテを見つけるや、カロンは言った。
”他の道を行け、おまえには、もっと楽な船が似合うだろう”
”カロンよ、怒るな。これは、全知全能の高き賢きあたりの思し召しなのだ。彼を通してやれ。”
ヴェルギリウスの言葉を聞いたカロンは、むっと押し黙り、再び怒りに満ちた形相で、次々に集まってくる「神を畏れぬもの、神の怒りに触れたもの」たちの方を向き、彼らを三途の川の渡し船に追い込んで行った。
ぐずぐずするものは、容赦なくカロンの持つ船の櫂で殴られた。
涙に濡れた大地は、一陣の風を発し
風は真紅の稲妻を飛ばし
その稲妻は私の五官を奪った
私は、昏睡に落ちた人のようにばたりと倒れた。
ミケランジェロ 最後の審判 下部 システィナ礼拝堂 ローマ
この場面は、結構たくさん描かれています。「神曲2010」以降では、作品が重なり、同じ場面が複数出てきてもOKかとも思ってます
G.ドレ
ジョバンニ・ディ・パオロ
ストラダーノ
突然の怒鳴り声と共に、船に乗った白髪の老人が現われた。
小川 淳 地獄の渡し守カロン アクリル
”わしは貴様らを、永遠の闇の中に、灼熱と氷の岸辺に追いやるために来たのだ!さあ、さっさとこの船に乗らんか!”
と言いながら、手に持った櫂で、そこに集まってきていた亡者どもを打ち据えながら、目の前の川を渡る船に彼らを追い込んで行った。老人は、「三途の川」の渡し守のカロンだ。
”おいおまえ、生きているな。生きている奴は、ここを通すわけには行かぬ。離れておれ。”
ヴェルギリウスに連れられて、三図の川の岸辺に来ていたダンテを見つけるや、カロンは言った。
”他の道を行け、おまえには、もっと楽な船が似合うだろう”
”カロンよ、怒るな。これは、全知全能の高き賢きあたりの思し召しなのだ。彼を通してやれ。”
ヴェルギリウスの言葉を聞いたカロンは、むっと押し黙り、再び怒りに満ちた形相で、次々に集まってくる「神を畏れぬもの、神の怒りに触れたもの」たちの方を向き、彼らを三途の川の渡し船に追い込んで行った。
ぐずぐずするものは、容赦なくカロンの持つ船の櫂で殴られた。
涙に濡れた大地は、一陣の風を発し
風は真紅の稲妻を飛ばし
その稲妻は私の五官を奪った
私は、昏睡に落ちた人のようにばたりと倒れた。
ミケランジェロ 最後の審判 下部 システィナ礼拝堂 ローマ
この場面は、結構たくさん描かれています。「神曲2010」以降では、作品が重なり、同じ場面が複数出てきてもOKかとも思ってます
G.ドレ
ジョバンニ・ディ・パオロ
ストラダーノ
地獄篇 第三歌 地獄の門 [アート 文学 宗教]
そうしてダンテとヴェルギリウスは、地獄に入って行った。
地獄の入口には門があり、次のように書かれていた。
”我をくぐるものは憂ひの都へ、
我をくぐるものは永遠の苦悩が、
我をくぐるものは破滅の人となり
正義は尊き主をして、
聖なる力、最高の智慧、
原初の愛は、われを造る
われより先に創られたものはなく、
ただ永遠のみが無限に続く
この門をくぐるものよ、一切の希望を棄てよ ”
ダンテはヴェルギリウスに手を引かれ、門を抜けていくと、そこには悲惨な連中が大勢うごめいていた。
ためいき、泣き声、苦しみや怒りの声が、交じり合って、騒然たる音を立て渦巻いていた。
ダンテは、
”先生、この耳を聾する騒音は何ですか?・・・
ああ、頭が締め付けられるようだ・・・・
彼らはいったい何者ですか?・・・
なぜああひどく泣き叫ばなければならないのですか?・・・・
彼らの罪はそれほど重いのですか?
先生、彼らは・・・”
と思わず涙ぐみながら聞くと、ヴェルギリウスは、
” 彼らは、誉れもなく、またそしりもなく生涯を送った哀れな者たちだ。
神に仕えるでもなく、また叛(そむ)くのでもなく、ただ自分たちのためだけに存在した卑しき天使の群だ。
天国はこうしたものに汚されるのを嫌い、奴らを受け入れないが、
地獄もまた、奴らを受け容れない。
悪党どもがかえって威張りだすからだ。
奴らには死の希望すらない。
彼らについてはもう語るな。黙って通り過ぎるのだ。”
と答えたので、ダンテはしゃべるのをやめた。
無数の人々が、体中を虻や蜂に刺されながら、たなびく旗を追うように進んで行った。
彼らの足元では、彼らが流した血と涙を、忌々しい虫たちが舐めていた。
(写真)ロダン作 地獄の門 国立西洋美術館
三人の女神のはからい [アート 文学 宗教]
”私は、天国でも地獄でもない連中といたのだが、清らかな美しい女性が私を呼ぶので、伺い出た。
その方の両の目は、星よりも明るく、さわやかでゆったりとした天使のような声で私に話すのだ・・・・
『私の友で運のない人が、人気のない浜辺で、猛獣たちに道をふさがれ、もと来た道を引き返そうとしています・・・
もう手遅れなのでは・・・さあ急いで、あなたの雄弁で彼を救ってやってください。
私はベアトリーチェ。愛に心動かされ愛により申し上げます、どうか彼を救ってやって・・・・・』 ”
ベアトリーチェによると、最初にダンテを哀れに思ったのは、彼女よりもさらに天国の上の方に住まわれているマリア様だった。
マリア様が、”人生の半ばで、正しき道を踏み外してしまったダンテ”を救おうとして、その愛の思いをかたわらのルチアへ伝え、それがルチアを通してベアトリーチェへ、そして最後にヴェルギリウスへと伝わったのだ。
”こうして私はおまえのところに来た。
さあどうする? 何を迷う? このような祝福されたお三方が、
天上にあっておまえを心配して下さっているのだ ・・・”
その言葉を聴いて、ダンテは、
”夜の冷気にあたってしぼんで頭を伏せていた小さな花が、
お日様が出るときらきらと光り、
みな頭をもたげて茎の先に花開くように”
”私を助けてくださった情け深いお方・・・
あなたのお話を聞いて、行きたい、という気持ちが強く心に湧きました。
最初の決心に戻りましたから、さあ行きましょう。”
そう言ってダンテはヴェルギリウスのあとについて陰惨な地獄への旅に踏み出した。
実は、堕落し絶望したダンテを救うには、”本当に堕落して死んだ者たち”が地獄で苦しむ姿を、生きているダンテに見せるしかない、というのが、女神たちの考えだったようだ。
そして文才があるダンテに、その様子を書かせ、それを人々への警告と啓蒙の書とする、という考えがより深いところにあったわけだ。
聖母マリアが、ルチアを通してベアトリーチェに思いを伝えるこの場面は、G・ドレも描いていません。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」 天使はウリエル
聖ルチア、フランチェスコ・デル・コッサ画。
私はベアトリーチェ。愛に心動かされ・・・・ [アート 文学 宗教]
確か2006年頃、僕がN芸大の非常勤講師をしていた時、自分自身も
”美術界の暗い森”に迷い込んだような感覚に苛まれていた。
「家業の天井画をやっている時は、そんな事はないが、『美術界』に目を向けると、
そこがいったい何をやっているのかわからない。
このもやもやした感じから抜け出るにはどうしたらいいのか?」
その時に、この「神曲2008」の企画を思いつき、
「これはやった方がいいかもしれない。一つの風穴になるかもしれない」
と思って、その考えを実行に移そうとした時、同時にこの「神曲」の主人公と同じような気持ちの迷いも生じた。
”いま願ったばかりのことをもうやめて、別の考えに移り、はじめの一念はすっかり捨てた・・・
はじめは飛びついた計画だったが、やめる気になったのだ。”
まさにこんな感じだった。
「なぜ好き好んで地獄を描くのか?」
「軽い気持ちで地獄物語と付き合って、そこから逃れられなくなったらどうするのか?」
「これは自分の仕事じゃない・・・」
そのような思いが何度も頭をよぎり、「やめた方がいいな」と何度も思った。
それでも、いざN芸大の先生や学生たちに会うと、
「ダンテの『神曲』を、再び描くというアイデアがあるのだけれど一緒にやりませんか?」
と誘っている自分がいた。しかし家に帰ると、
「これは下手に手を出さない方がいい」
とまたやめる気になるのだった。
その時、N芸大で話した何人かの人が、今回の「神曲2008」プロジェクトに参加して下さってます。次回の「神曲2010(次回)」プロジェクトに興味を感じられたなら、N芸大の卒業生・在校生、他の美術系/一般大学その他出身・所属・経歴など一切問いませんので、「神曲」プロジェクト実行委員会までご連絡ください!
さて、物語に戻ろう。とつぜん躊躇し始めたダンテに、ヴェルギリウスは言った。
「おまえの言うことを良く聞いたが・・・
どうやら臆病風に吹かれたようだな。
それで名誉ある仕事を投げ出したりする・・・
なぜ私がおまえのもとに来たか、何を聞いておまえに同情するようになったか、話しておこう。」
そう言ってヴェルギリウスはダンテを助けに来たいきさつを話した。
(写真)ストラダーノ 神曲より このシーンもまだ描かれてません。
”美術界の暗い森”に迷い込んだような感覚に苛まれていた。
「家業の天井画をやっている時は、そんな事はないが、『美術界』に目を向けると、
そこがいったい何をやっているのかわからない。
このもやもやした感じから抜け出るにはどうしたらいいのか?」
その時に、この「神曲2008」の企画を思いつき、
「これはやった方がいいかもしれない。一つの風穴になるかもしれない」
と思って、その考えを実行に移そうとした時、同時にこの「神曲」の主人公と同じような気持ちの迷いも生じた。
”いま願ったばかりのことをもうやめて、別の考えに移り、はじめの一念はすっかり捨てた・・・
はじめは飛びついた計画だったが、やめる気になったのだ。”
まさにこんな感じだった。
「なぜ好き好んで地獄を描くのか?」
「軽い気持ちで地獄物語と付き合って、そこから逃れられなくなったらどうするのか?」
「これは自分の仕事じゃない・・・」
そのような思いが何度も頭をよぎり、「やめた方がいいな」と何度も思った。
それでも、いざN芸大の先生や学生たちに会うと、
「ダンテの『神曲』を、再び描くというアイデアがあるのだけれど一緒にやりませんか?」
と誘っている自分がいた。しかし家に帰ると、
「これは下手に手を出さない方がいい」
とまたやめる気になるのだった。
その時、N芸大で話した何人かの人が、今回の「神曲2008」プロジェクトに参加して下さってます。次回の「神曲2010(次回)」プロジェクトに興味を感じられたなら、N芸大の卒業生・在校生、他の美術系/一般大学その他出身・所属・経歴など一切問いませんので、「神曲」プロジェクト実行委員会までご連絡ください!
さて、物語に戻ろう。とつぜん躊躇し始めたダンテに、ヴェルギリウスは言った。
「おまえの言うことを良く聞いたが・・・
どうやら臆病風に吹かれたようだな。
それで名誉ある仕事を投げ出したりする・・・
なぜ私がおまえのもとに来たか、何を聞いておまえに同情するようになったか、話しておこう。」
そう言ってヴェルギリウスはダンテを助けに来たいきさつを話した。
(写真)ストラダーノ 神曲より このシーンもまだ描かれてません。